だからといって年功序列給がオールマイティというわけではもとよりない。たいして能力のない者でも、怠け者でも、一年ごとに自然昇給をするということになれば、時間がたてばたつほど会社の負担は大きくなる。また単に年をとったというだけの理由で収入が多いのでは、能力のある若者の不満が募る。といってすべての若者が年功序列給に反対かといえば、必ずしもそうではなく、「今に見ていろ、僕だって」いつかは必ず年をとるのだから、まったくの能力給よりは年功で収入がふえていくほうが働く者を納得させることも事実なのである。ただし、それだけでは今の環境に完全にマッチしているとは言えないので、現実には能力給や職務給などいろいろな折衷案が採用されている。また基本給は少ないが、売上歩合給で給与を支払っている企業もある。
こうした年功序列給は、人間の平均寿命が五十歳程度の時代には、ほとんどそのままで通用した。終身雇用制という言葉はたぶん、そういうところから生れたものであろう。しかし、平均寿命が延びて「人生八十年」が当り前になると、年功序列給をそのまま死ぬまで通用したら、会社は人件費ばかり極端にかさんで、事業体としては機能しなくなってしまう。これでは大変だというので、一定の年齢になったら会社をお払い箱にする制度ができあがり、かつて五十五歳だった定年は、それぞれの企業の方針によって、五十八歳に延びたり、六十歳に延びたりした。仮にそれがまた一年や二年延びたとしても、人生の四分の一を残したまま定年にする制度が定着してしまったのである。会社からお払い箱にされた「会社人問」があとの二十年をどうして暮すかは、本人の問題として残っているが、会社としては、ともかく二十歳から六十歳までの、人生において最も労働意欲の盛んな期問をずっと会社に引き止めて仕事をさせることには成功したことになる。

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