のちにホンダのオートバイは世界中に市場を持つようになり、世界各地の需要を充たすために世界三十六力所に工場をつくるようになったが、創業のときの「売れる商品」づくりの精神は今もそのまま受け継がれている。
日本人は売れそうな商品をつくってまず国内で売ってみる。商品に欠陥があれば、犠牲者は国内の消費者である。売れるためには消費者のポケットに合わせて値を安くして供給しなければならないが、その名声を長く維持するためには、故障を起したときのアフターサービスをよくしなければならない。日本の家電メー力ーは、テレビや電気掃除機やトランジスタ・ラジオを売り出したばかりのころ、一時期、全国にサービス・ステーションを展開した。安売り屋が誕生し、メー力ーの設定した価格を割って安売りをしたが、それに対抗してそれぞれのメー力ーの専属店、いわゆる街の電気店は、故障したときのサービスのよさでお客をひきつけようとした。ところが家電メー力ーが世界中に輸出をするようになると、まさかアフリカや南アメリカまで修繕にいくわけにもいかない。こうなったら壊れないものをつくるよりほかないから、なかなか故障しない商品をつくるようになる。すると街の電気屋のセールス・ポイントがすっかり失われてしまったから、街の電気屋はすっかり影をひそめてしまった。ちょうどそのころになると、メイド・イン二ンヤパソの電気商品は世界中にその市場を拡げるようになっていたのである。
まだ日本の生産技術水準が低かったあいだ、日本人にとって「売れる商品」とは、先進国の中以下の階層が使用する日用品や消耗品、でなければ、発展途上国の人々が興味を示す日用品か、耐久消費財であった。これらの商品はスーパーのバーゲン商品売場に並べられていた。しかし、技術レべルがあがり、もっと」局度の商品ができるようになると、かつての安物売場は韓国や台湾の製品が占領するようになった。日本製は安物売場から姿を消しただけでなく、のちに日本のデザイナーによるファッション商品が高級品売場に登場するまでの一時期、デパートからさえ姿を消した。日本人は、国内で売る繊維商品の高級化には続けて力を入れてきたが、その注意力の大半は、もっと高度な技術水準を要求される製鉄、石油化学、自動車、家電、コンビュータといった分野へ注ぎ込まれてあくことを知らなかった。
その場合も、「売れる商品」をつくることが最大の目標とされた。日本の自動車や家電製品を見ればすぐにも気づくことだが、日本製品は消費者の要求に見合うように細かいところにまで神経が使われている。日本製の自動車は滅多に壊れないだけでなく、馬力の低いエンジンでも、冷房がよく効くように設計されている。燃費が少なくてすむことは、自分たち資源のない国の貧乏人の懐を考慮した設計であるが、石油ショックになると、アメリカでも広く一般大衆から受け入れられるようになった。車の中の設計を見てもわかるように、後方座席に座ったまま温度の調節もできるし、座ったままマッサージをすることもできる。なかには、前方助手席の背もたれに穴があいていて、そのまま後方から足を伸ばして寝られるように設計されたものもある。いずれも自動車の本来の機能とは何の関係もないことだが、こういうところにも、お客本位の日本人の心遣いのあとが見られるのである。
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