製品輸出依存型から生産手段輸出型への大転換

生産者的発想ではドル安円高の根本間題は解決しない
「使う身になってつくる」商品が消費者に歓迎されるようになるのは、考えてみれば当り前のことである。安いということからスタートして次第に高級化し、また軽工業から始まって、高度の技術を要求される先端産業へと守備範囲を拡げていくうちに、日本の工業製品は先進諸国のそれと競争して充分、太刀打ちできるようになった。おかげで貿易収支の黒字が定着したばかりでなく、その数字が拡大の一途を辿ってきたので、「日本人は人のお金ばかり稼ぐ」「日本人はお金の使い方を知らない」「日本人は働きすぎだ」「日木人は輸出型の産業構造を改めるべきだ」と世界中から批判を浴びるようになった。
いずれもまったく的を得てないとは言えないが、資本も資源もない国が自国内に閉じ込められたまま生きる道を探さなければならないとすれば、輸出を振興して受け取った代金で輸入品の支払いをするよりほかなかった。輸入品の大半は食糧と原料であり、どちらも付加価値の低い一次産品だが、使う量は多いから、一生懸命働かなければ、メシを食っていくのにも難儀する。日本人が繊雑や雑貨のような低次元の商品しか生産できなかった時代には、製品そのものの付加価値も低かったから、いくら頑張ってもそんなにお金は儲からなかった。
ところが、軽工業から重工業に移り、さらに、自動車や家電、コンピュータのような技術と精密度を要求される商品を手がけるようになると、付加価値の部分が日増しにふくれあがり、しまいには付加価値の部分だけで勝負がきまるようになった。そのため輪入と輸出の差が年とともに大きくなり、輸出依存型の構造になっていくことが日本を利するとともに、国際問の常識的なバランスを崩すことにもなってしまった。「日本人は働きすぎだ」と言って批判するのは、怠け者が働き者の悪口を言うようなものだから、あまり日本人を説得できない。しかし、「日本人は外国のお金を稼ぎすぎて、国際間のバランスがとれなくなっても困るから、もう少し気前よくお金を使うべきではないか」「日本人はバランスをとるためにもう少し輪入に力を入れで外国にもお金を稼ぐチャンスをあたえるべきだ」ということなら、国際貿易のおかげで成り立ってきた日本のことだから、きく耳は持たないといらわけにはいかないだろう。
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