日本の流通業は問屋を中心として成り立っており、「そうは問屋が卸さない」という言葉が残っているように、職人に発注するしないも、小売業者に卸すも卸さないも、問屋の主人が一切を取りしきっていた。問屋にはそれぞれの専門があったが、どの問屋も製品を仕入れて小売業者に卸してマージンを稼ぐほかに、前貸しをしたり、品貸しをしたり、手形の割引きをして金利を稼ぐ仕事にも従事した。すなわち売買によって利鞘を稼ぐほかに、金貸しをやることが商業資本に共通した業務内容だったのである。したがって工業化がすすみ、従来の高利貸資本では時代の要求に対応できなくなったとき、徳川時代から続いてきた金融業者や問屋はほとんど姿を消してしまい、三井とか、住友とか、呉服屋や鉱山業を本職としてきた一握りの業者だけが辛うじて生き残ったのである。しかし、そうした財閥も、今次大戦後、財閥解体されて旧主とは全く資本関係がなくなり、企業間の相互持株と大衆株主によって維持されるように一変してしまった。そういった意味では、かつての高利貸資本あるいは問屋資本と、今日の金融資本や産業資本とはほとんどつながりはないが、問屋を中心とした流通機構だけは、幾多の変遷を経ながらも、いまだに日本の産業界に生き続けている。
日本の流通業の特徴は、何といっても生産者と消費者のあいだに介在するのが小売業者だけではなく、一次問屋、二次問屋、三次問屋、それからやっと小売業者といったように、流通業者がエンエン長蛇の列をなして介在していることであろう。他の国へ行くと、メーカーは小売業者に直接、商品を卸している。総代理店がある場合もあるが、それは大抵が輸入商品に限られており、メー力ーが遠くにいて直接、小売業者とタッチできない場合に限られている。したがって最終消費製品を扱う場合も、メー力ーの専属小売店が多く、ほとんどの業種で系列化ができあがっている。
ところが、日本ではメー力ーより問屋の成立の歴史が長く、メーカーが製品を売るについて問屋に頭を下げて取り扱ってもらうことから始まったので、前資本主義時代の流通機構が命脈を保っているだけでなく、さらに日本的な発展の仕方をしてきた。その一つが「商社」という世界でも珍しい流通業者であり、それがメー力ーと問屋のあいだに割り込んで、もう一段上の大問屋になったことである。もう一つは、マンモス化したメー力ーが自分たちの製品を売るために、それぞれ傘下に販売会社を持っようになったことである。第三に、そうした商社や販売会社から一次問屋、二次問屋を通して小売店まで到達する経路が異常に長く、草食動物の腸が特別長いように、消費者の手元に届くころには、原価と全くかけはなれてしまっていることである。そして最後に、それではあまりに生産者、流通業者中心の一方的な売り手市場の流通機構になっているために、小売業側からの反撃が起り、スーパーによる流通革命が流通業に新しい変化をもたらしたことである。

←前ページへ 次ページへ→

目次へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ