草食動物の腸に似た長い長い流通経路


長蛇の列をなす問屋の数々
消費者がどれだけワリを食うかについては、為替相場の激しい変動に晒された日本の国内で、物価がどういう動きをするかを見ればすぐにわかる。日本では生産を重視するあまり、流通はほとんど無視されてしまっている。流通業は士農工商のなかの商に属し、伝統的な思想のなかでは最下位にランクされている。しかし、お金儲けのチャンスについて言えば、いつの時代でも商人のほうがずっと優位な立場におかれている。最も卑しめられた者が最もお金をたくさん手にすることができたのである。支配階級といえどもお金の力には勝てなかったから、商人から高利でお金を借りたり、そのご機嫌をとるために苗字帯刀を許したりする光景も見られた。
明治以後は、身分制は廃止され、四民平等が実現したが、サムライの気風が失われたわけではなく、むしろ下の者が底上げされて皆がサムライになったと見たほうが正しい。ちょうど三等車が二等車になり、二等車もなくなって、新しくグリーン車が誕生したように、上へ上へと切り上がっていく。おかげで、表立って商人が蔑視されるようなことはなくなったが、それでもスーパーの売上高が製鉄会社の売上高に匹敵するようになると、生産者の心の底にひそんでいた意識が突如、爆発して、新日鉄の稲山嘉寛さんのように、ダイエーの中内功さんをつかまえて「たかが小売商人ふぜいが……」と口走って物議をかもしたりすることが起る。一見、何でもない衝動的な失言にすぎないけれども、そこに日本の生産業者や支配階級の深層心理がうかがえて、思わず膝の一つも叩きたくなる光景なのである。
そういった長い伝統があるだけに、日本の流通業は生産業に比べて不当な扱いを受けてきただけでなく、長いあいだ未発達な状態におかれてもきた。もちろん、工業が手工業の域を出なかった時代には、商業のほうが手工業よりスケールが大きかったし、商人のほうが職人よりはずっと豊かであった。手工業の時代には、職人たちが物をつくったが、職人の親方が自分の危険負担で商品づくりをしたわけではなく、問屋の注文を受けて商品を納入するのが常識であった。
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