非関税障壁の最たるものは価格に鈍感な消費者


何が日本の流通システムに動脈硬化をもたらしたのか
アメリカ人でも、 ECの人々でも、あるいは、日本市場を相手に売り込みをしたがっているNIEsの国々の人でも、日本のこうした流通システムに不慣れなために、「日本人は基本的に外国製品を買う気がないのではないか」、「日本の消費者たちの前には、関税以外のいわゆる非関税障壁が高々と聳えているのではないか」とつい早とちりしてしまう。しかし、一人一人の日本人が抱いている舶来品に対する畏敬の念とか、ブランド商品に対する陶酔ぶりを見たら、日本人が自国製品を偏愛して、外国製品を締め出したがっているとは到底、思えない。ましてアメリカ人が、バイ・アメリカン(アメリカ製品を買おう)と叫んだりするように、日本人が「愛国心があるなら国産品を買おう」と言うようなことはまずまかり間違えても起りっこない。戦争中、軍部が先頭に立って敵憾心を煽ったときは別として、基本的に日本人には西洋崇拝の念が強く、舶来尊重の気風には抜きがたいものがあるからである。では何が日本の流通システムに動脈硬化をもたらしたのであろうか。私は、それはだれのせいでもない、日本の生産者も消費者も、その中間に介在する間屋に飼い馴らされ、一方ではメー力ーがきびしいコスト・ダウンを強いられたのに、もう一方では消費者が定価で物を買わされることに馴らされていたせいだと思う。日本の商人は、「べニスの商人」ほどの駆け引き上手ではないにしても、傘下の生産者に対しては、手形で仕入れたうえに、生産者が金ぐりに困って手形を割ってもらいたいと頼むと、銀行よりも高い利率で現金化するようなことは平気でやる。一方、小売店に対しても、火事その他の災害に対しては支払いを猶予し、事と次第によっては支払い期限の延長にも応ずる。その代り値崩れ防止にはことのほか神経を使い、競争相手によるダンピングに対抗するとき以外は、一旦きめた定価を守らせようとする。日本の鉄道が定刻を厳守するように、日本の商人も定価に固執する。たとえば、香港や台湾から日本へ来た旅行者は、デパートだろうとどこだろうと買い物をするときは、一応は必ず値切ってみる。中国人は物の値段は売り手が一方的に決めるべきものではなく、売り手と買い手の合意によって決められるべきものだと信じている。ちょうど鉄は上の刃によって切れるものでもなければ、下の刃によって切れるものでもなく、双方合わさって切れるようなものだと思っているからである。ところが、日本のデパートでは、売り場に来た普通のお客にはまず負けることがない。常連の顧客で力ードを持っているとか、外商が出入りして常時大量の注文をくれるお客には割引があるけれども、それはむしろ例外のほうである。
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