スーパーの発展はいわばそういったグッド・チャンスに支えられて短期間に全国を風靡することができたが、あるところまでくると、しぜんに飽和点に達した。大型店舗法とか、地元商店街の反対でストップしてしまった面もあるが、実はスーパーが日本の消費者によって受け入れられる限界があるのだと考えたほうがよいだろう。ある一時期、スーパーの急速な拡張によって、最も脅威を受けたのは商店街の小売店であった。デパートもそうであったが、零細小売店の店主たちは、自分たちの商売をどこまで食われるか、深刻に受け止めていた。スーパーが独自のブランドをつくり、デパートと変らない動きをするようになると、店を多く持ち、大量に商品がはけるだけに、デパートの経営者たちも脅威を感ずるようになった。ところが、世の中には量販によってメリットの出る商品もあるが、その逆のものもある。野菜のようなシーズンの農作物になると、大量に仕入れようとしても、物のない場合は大量の注文のほうが逆に高くなる。またファッション商品のように「安ければよいというものではない」という性質の商品は、安さでは売れない。スーパーのように実用品を売っているというイメージが強いと、賛沢品を売るときは却ってマイナスに作用する。スーパーはその創業当時はもっばらコストを安くするために、中間に介在する間屋を排除することに力を入れてきたが、メー力ーから直接仕入れをしようとすると、大量に売れるものはよいが、何千何万と種類のある小物になると、やっばり問屋から仕入れたほうが安いことがはっきりしてきた。また、仕入れが国内だけなら問屋を排除することも可能かもしれないが、海外にまたがるようになると、まさかいちいちバイヤーが海外に出張するわけにもいかない。思案の結果、お互いに競合しない何社かのスーパーが共同仕入れ機構をつくって、仕入れを行う。それも実際にやってみると、各社から出向してきたスタッフで運営したのでは意見がまとまらないし、スムーズに売れる場合はよいが、うっかり不良在庫が発生すると責任はだれがとるかということでもめる。あれこれやってみると、やっばり仕入れは自分たちで直接やらないほうがいい、むしろ出入りの問屋に仕入れてもらって、返品の処理も問屋にやってもらったほうが却って効率的だという結論になってしまうのである。そのため、ひところは「問屋無用論」を口にしていたのが、いつの問にか、「問屋有用論」に戻ってしまい、流通革命の旗手だったはずの人々が問屋システムの合理性を認めるようになってしまった。これでは輸入商品も、日本国内から入ってくると、昔ながらの大名行列で、東海道五十三次を下へ下へと掛け声をかけながらようやくスーパーに届き、高い値段に化けて消費者の手に渡ることになる。日本の食料品の高さときたら、他の先進国にも例を見ない高さなのである。
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