以上からもわかるように、日本の社会は農業にたよって皆が生きていた時代からすでにサービス先進国であった。ヨーロッパでも封建時代には、王侯貴族たちが自分たちの収穫で多くの召使いを雇い、また収穫された穀物や食糧が長い貯蔵に耐えられなかったせいもあって、しよっちゅう大宴会をひらいては盛大にお客をもてなした。アジアの国々でも、基本的には似たような社会構造であり、農業、加工業などの生産事業に従事する人以外は、王侯貴族や富裕階級の家事使用人をつとめることによってメシにありついてきたのである。
アダム・スミスはすべての富の源泉を労働に帰しているが、労働を生産的労働と非生産的労働に分類して、その名著『国富論』のなかで次のように述べている。
「労働には生産的労働といって、労働することによって価値の生ずるものがある。物をつくるということは、原材料に加工をして、自分らの生活費にあたる部分と、雇主の利潤にあたる部分を生み出すことである。もちろん、労働者は、物がまだできていない場合でも労賃の前払いを受ける。しかし、それはいずれ商品を売ったあとに回収されるから、雇主にとっては別に費用がかかるわけではない。ところが、家事使用人に支払った生活費は永遠に回収されることはない。もちろん、家事労働に値打ちがないとは言わない。家事労働だって、雇主にとっては必要なサービスを受けているのだから、賃金を払ってもらって然るべきであろう。しかし、物をつくるための労働が付加価値を生み出すのに対して、家事使用人の労働はサービスを受けた途端に消滅してしまうものだから、サービスと引き換えに何らかの値打ちのあるものが手元に残ったりしない。だから人は生産的労働をたくさん雇えば金持ちになるし、家事労働にお金を払えば、それだけ貧乏をする」
そうは言うけれども、大衆の必要なものを大量につくり出すことのできなかった時代には、いくら人がいても物をつくるための仕事がなかった。だから多くの人々が家事労働に従事し、金持ちや権力者から食い扶持をわけてもらって、それで生活をした。そういう社会は貧乏な社会であった。やがて工業が発展し、物をつくることによって次々と付加価値を生み出すことができるようになると、労働力への需要が急速に増大したので、家事労働に従事する人がその分だけ少なくなった。賃金が高くなったためによほどの収入のある人でなければ、召使いを雇うことができなくなったし、生産的労働に移った人々が付加価値を生み出すようになったので、社会全体がそれだけ金持ちになった。経済学ではサービス業に言及することがいよいよ少なくなり、戦後の日本でもサービス業は「暗い浮世の裏町」稼業に転落してしまった。だからと言って、サービス業で身過ぎ世過ぎをする人がいなくなってしまったわけではない。むしろ日本人のサービス精神が、生産的労働の部門に引っ越しをすると、「殿様に仕える」調子で「お客さまに奉仕する」ようになったので、 日本の生産部門が一段と冴えるようになった。さらにまた、サービス業の分野が金融業、情報業、旅行業、運送業等々にまで拡がってきたので、サービス業そのものの地位もあがったし、サービス業の中身も世界の水準を抜くようになってきた。

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