もし宗匠とあがめられる人たちが、茶莞の箱書きをして高額の謝礼をもらうとか、茶会に招ばれた人たちから包み金をもらうとか、あるいは、全国に張りめぐらされた何とか千家というチェーン組織のフランチャイジーたちからの上納金をもらわなければ、とてもあの大世帯を維持していけないだろうし、その権威を保つことすらできなかっただろう。もちろん、茶道にはそれなりの伝統があるし、今日の地位を築くについて、千利休を初め、多くの先達の営業努力に負うところが大きいが、それにしても、ただのサービス業を国の最高の位置まで押し上げたのだから、世界にその類例をみないサービス業者の絶技といってよいであろう。
俗に「茶坊主」という言葉があるくらい、同じサムライでもお茶を出す係は、わざわざ頭髪を剃りおとして出家のような姿をしたし、時の権力者にへいこらしてきた。だからこそ「茶坊主」といってバカにされたのだが、時の権力者におもねるのは何も茶坊主だけではない。サムライたちの結っていたチョンマゲをみればわかることだが、世界中どこをみても額の髪の毛をわざわざ剃り上げて、もとどりを前方に向けて曲げた形のへア・スタイルをしている者はない。子供のころ、私はチョンマゲがどうしてああいう形をしているのか、まったくわけがわからなかったが、自分が年をとるにしたがってやっと思いあたるようになった。
人間、年をとると額の毛が脱けおちて、総髪に結ったつもりでもチョンマゲになってしまう。人の上に立つような人は、総大将になるまでにかなり年を食っているから、チョソマゲ以外の髪形に結うことができないのである。
本当のことをいうと、チョソマゲは決して力ッコのいいものではない。しかし、殿様だけチョソマゲで、若い家来が力ッコのよい総髪では殿様に申し訳がない。そこで、額に髪の毛のある若者たちまでわざわざ髪を剃って殿様へ右へならえをした。それがチョソマゲであって、頭の上にのせているものからして、「おべんちゃら」のシンボルみたいなものである。
家来たる者、殿様におべんちゃらをいうのが大事な仕事の一つであり、それを上手にやった奴が出世をする。とりわけ平和な時代になれば、武功を立ててその忠誠心を内外に示すこともできないから、「茶坊主」を決め込むよりほかない。今もその精神は脈々と生きていて、上役の引っ越しに下の者は必ず手伝いに行くし、社長が相撲好きであれば、部下は本当は野球好きであっても、しっかり相撲の知識を仕入れてきて、「やっばり相撲が一番ですね」とお愛想の一つも言う。組織のなかで生きている者は、何が出世のきっかけになるかをよく心得ているので、『太閤記』にも出てくるように、「草履取りから天下取り」への道を志すのである。こうした社会的雰囲気のなかで、サービス精神なくして出世のできる見込みはほとんどないといってよい。というより、社長が煙草を手にしたら、すぐライターに火をつけるくらい気がきかなければ、そもそも組織社会で出世コースにのることはできないのである。
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