こうした業種はすべてサービス業に属するから、いやでもそれぞれの地域の同業者と比較対照される。旅行とか、証券とか、扱っている商品はみな同じで、サービスの良さ悪さだけで勝負が決まる商売、ある意味では工業生産よりもっと難しい分野の仕事といえる。たとえば銀行である。銀行の扱っている商品はただ一つ、お金である。銀行が預かったり、借りたりするお金はどこも同じものであり、そのために支払われる利息も、おそらくそう大きな差はないだろう。
金融の自由化という言葉をよくきくが、同じ国で同じ時期に、条件も同じなら金利差は一%とないのが普通である。国内で次々と売り出される金融商品をみても、変額保険のような、あるいは、一時払い養老保険のような特殊なものを除けば、金利差はほんの僅かしかない。金利差があった場合でも、規約をよく読んでみると、中途解約はできないとか、解約手数料が他に比べて高いとか、不利な制約があれこれついていて、結局、金利差は力バーされてしまっている。あとは「こういう条件でないと、融資はしない」とか、「融資を申し込んでから実行に移すまでの時間がかかるかどうか」とか、「窓口で待たされる時間が長いかどうか」とか、すべてサービスの違いでお客から選ばれるかどうかが決まる。
日本国内における国内銀行と外国銀行を比べてみると、外国銀行は明らかに見劣りがする。外国銀行には預金が集まらないし、融資もそんなにはやっていない。珍しく融資をする場合でも、金利が一%も二%も高かったりする。それでも借りる人がいるのは、株の買い占めや不動産の投機をする業者か、でなければ、サラリーローンの業者が相手だからであろう。外国銀行の主たる業務は貿易業務や国際間の金融業務であり、日本の銀行が海外に支店を持たず、海外における活動が制限されていた時代には、結構甘い汁をすうことができたが、金融の国際化がすすむにつれて、外国銀行の旗色はすっかり悪くなってしまった。一方、海外における日本の銀行は、とみると、支店もふえたし、現地銀行の買収も盛んにやっている。しかし、いくらサービスの良さを誇る日本の銀行でも、現地に行くと現地人を使って作業をやるので、一○○ドルのお札を一枚両替するのにも、一時間以上要したり、ちよっと複雑な送金をたのんだりすると、半日かかってしまったりする。日本にいるときとあまりにも勝手が違いすぎて、大抵の日本人は頭に血がのぼってしまい、「東京へ帰ったら、お前んとこの頭取にいいつけてやるからな」と捨てゼリフの一つも残して出ていく。むろん、帰ったころにはお客のほうももうすっかり忘れてしまっているが、こうした違いは日本人にとって悪いことではない。こうした違いがあるからこそ、日本の銀行が海外で成り立つ余地があるのである。
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