第六章 お金が国境を破壊する
       通貨のカラクリは金本位も紙本位も同じ

お金が世界中を駆けまわるようになって昔の経済学は崩壊した
お金に対する人々の見方・考え方は、昔と今とでは、かなり変わってきている。
貨幣制度もすっかり変わったが、お金そのものが、世界中を駆けまわるようになったので、
経済全体に及ぼす影響が変わってきた。
まず「お金」という言葉に名残をとどめているように、昔は金が通貨として使用された。
そのまた昔は金を地金のまま、重量で通用した時代もあった。しかし、地金にどの程度の混ぜ物があるか、みただけでは見分けがつかないし、いちいち秤にかけて重さを測るのは厄介だった。そこで一定の品質と重量を含んだ金貨がつくられ、国王がそれを保証することになった。しかし、封建時代の国王の私有財産と国家財政は同じふところだったから、経済観念のない、浪費癖の激しい国王にかかるとたちまちお手元不如意になったし、また近隣諸国と戦争をして戦費がかさむと、これまた国庫が空っぽになった。徳川幕府といえども例外ではなかったが、こういうときは必ず金貨の改鋳が行われ、グレシャムの法則ではないが、「悪貨が良貨を駆逐した」。アダム・スミスが『国富論』の中でも指摘しているように、国債を発行したり、国民から借金をした国王でまともにお金を返済した例は一つもない。世界中どこの国でも、またいかなる時代でも、「貪欲不正な君主と政府がその臣民の信用を悪用して、本来、鋳貨の中に含まれていた金属の正味の分量を少しずつ減らしていった」のである。
金貨は金地金に比べれば、ずっと進歩した交換手段であるが、持ち運びに不便だったし、強盗や追い剥ぎに遭う心配もあった。盗っ人は直接、盗むだけでなく、金貨のフチを少しずつ削りとるという巧妙な手段も使った。だから銀行か、それとも国王が金貨を金庫の中に保存して、それと見返りに金券を発行し、いついかなるときも、紙幣に指示された重量の地金もしくは、金貨に兌換することを保証するようになると、紙幣が金貨の代りに通用するようになった。その保証をした銀行や、国王に信用があれば、紙幣は金貨と同じように通用する。もし紙幣が金貨と同じように通用すれば、金貨を通用させることによって損耗していた分が、紙の損耗だけですんでしまうから、社会的にみてもかなり大きな節約になる。金貨の持ち運びをしないですむという便利さにもはかりしれないものがある。
しかし、「金貨を裏づけにしないと、紙幣が発行できない」という金本位制には、いくつかの欠陥があった。一つは紙幣の発行高が保有する金貨もしくは金地金の量によって制約されることである。金には金そのものの値打ちがあるが、同時に物価をはかる尺度としての値打ちがある。金を掘り出すためのコストが物価に比して安ければ、金は増産され、インフレが起る。反対に、物がドンドン生産されていくのに、金の生産が富の生産に追いつかなければ、デフレ現象を起す。交換手段としての通貨が、金地金という天然資源に縛られていると、生産のスケールと通貨の量のバランスが崩れてしまう。1929年の大恐慌後、金本位制からの離脱が世界的傾向になったのは決して偶然ではないのである。
二つ目は、輸出入に伴う差額の決済に金貨もしくは金地金をAの国からBの国に運搬しなければならないことである。決済を迫られれば、金を運ぶよりほかなかったが、どこの国でも、自国の中央銀行の金庫から大量の金が運び出されることに対して激しい抵抗を示した。リクツをいえば、輸入がふえた国では、赤字になった分、通貨が減る。反対に輸出しすぎて黒字になった国では、その分、金が運び込まれ、それをもとに紙幣がふんだんに発行されれば、インフレになって物価が高くなる。とにかく、お金が自由に動くことによって、国際間貿易上のアンバランスは自動的に調節がなされる-と昔の経済学は教えたのである。
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