ドルの時代が去り、ブロック単位の自給自足体制が確立される


ドルの衰退によって、通貨は統一とは反対に分裂に向かう

ドルが世界通貨として通用した時代が半世紀以上も続いてきた。通貨が通貨として通用したのは金本位体制の時代でさえも、その通貨を発行した国の信用を前提としていた。いわんやドルという一片の紙片が通貨として、しかも世界中から受け入れられたということは、アメリカの経済力が全世界から信用されていたということにほかならない。
アメリカの国際収支も財政収支も健全に運営されていたあいだは、誰もドルの問題が起るとは考えなかった。栄枯盛衰は世の常で、いずれ下り坂にさしかかることは避けられないことであるが、ふりかえって考えてみると、およそ一九七○年を境としてアメリカ経済は下降線を辿るようになった。正確にいえば、すでにニクソンの時代にその端を発し、カーターの時代に赤字が根を下ろし、早晩、下り坂にさしかかることは避けられなかったであろう。だから、レーガンにだけその罪を押しつけるわけにはいかないが、レーガンの「強いアメリカ」政策によって坂を転げ落ちることになったこともまた事実であろう。いったん下降線を辿り始めると、一指導者の力で食い止めることはできないものだが、レーガンは食い止めるどころか、下り坂でアクセルを踏んだので、わずか八年の任期でアメリカを世界最大の債権国から世界最大の債務国に転落させてしまった。
経済が健全に運営されていたあいだは誰もドルに不安を抱かなかったが、貿易が大赤字を続けるようになると、赤字になった分、ドルを乱発して支払いに充てるか、紙幣を乱発しないまでも、借金でそれをつながなければならなくなる。財政が大赤字になって、その利払いと償還のために自転車操業を強いられるようになると、これまた当座は国債の増発で切り抜けられるとしても、やがてそれが効かなくなって通貨インフレで解決するよりほかなくなる。それはドルの購買力、すなわちドルの交換価値を目減りさせることにほかならないから、その分だけドルの通貨としての信用をおとすことになる。もしドルがアメリカの国内通貨として通用しているだけなら、アメリカは貿易収支の支払いのために、円やウォンや元の調達をしなければならなくなり、自国通貨の切り下げにつぐ切り下げを強いられたことであろう。輸出超過国がおとなしくドルを受け取ることを
承知しなかったに違いないからである。

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