ところが、ドルはアメリカの国内通貨であると同時に、世界通貨としても立派に通用していたから、アメリカに貸しのできた国々は喜んでドルをそのまま受け取った。アメリカ人にしてみれば、外国から物を買っても、自分らがふだん使っているお金を支払えばいいのだか
ら、国内と同じやりくりをするだけですんでしまう。ドルが病気になっても、病気の症状がなかなか表面に現われず、自覚をするころにはもう手遅れになってしまっている。私などからみると、アメリカの病状はかなり深刻なものであるが、アメリカ人自身はほとんどそれを自覚していない。
もちろん、症状はすでに随所に出てきている。ドルの対外交換価値はこの二十年問にずいぶん下がったし、下がっても貿易収支の赤字は回復のきざしをみせていない。したがって今後、ドルは長期にわたって、もっと下がるとみなければならない。人問ならば癌におかされて、痩せて消耗し始めているようなものだから、この先、そう長いことはない。ただし、国の場合は癌になっても、政権が交代したり、政策が変ったりすることはあっても、そのまま死んでしまうわけではないから、いつか底を打ち、どこかでUターンを起す。そのまま底に沈んで身動きができなくなるという例もまったくないとはいえないが、日本企業がこれだけたくさん進出し、助っ人を買って出ているのだから、発展途上国に工場進出した以上に、アメリカの貿易収支が改善される日は早いであろう。
だがそうはいっても、いったん低下した世界通貨としてのドルの威信を回復することは難しい。一国の通貨が同時に世界の通貨として通用した場合の欠陥をアメリカがその国力の斜陽化のプロセスではしなくもみせてくれた。決済手段としてドル以外の世界通貨をつくろうじゃないかという意見は、専門家のあいだに強いが、世の中は金持ちの手形しか通用しないに決まっているから、貧乏人がいくら集まってガヤガヤ騒いでも、話はまとまらない。OECDとか、IMFとか、国際的な経済協力や各国の金融機関の協調する必要は強くなることはあっても、弱まる方向にない。しかし予期に反して第三の通貨、それも国という枠を超越した通貨が誕生する可能性はほとんどない。
ただそうはいっても、国際通貨としてのドルが信用をおとしてきた以上、いつまでもドルにたよっていることはできない。現実の問題として、どこの国でも、通貨準備金をドルにばかり集中する危険を避けるようになっている。たとえば、サウジ・アラビアとか、ブルネイといった国では、国の資金の運用を一部、日本の国債や証券に切り換えてきているし、他の国々でも外貨をドルだけでなく、円やマルクに分散して保有する動きが出ている。紙幣はあてにならないから、今に銭に戻るのではないか、と期待する向きが金愛好者には多いが残念ながら、そのきざしはまったくない。経済は逆戻りすることはほとんどなく、これだけ経済のスケールが大きくなれば、金のような有限な天然資源に縛られた交換手段では間に合わないことがはっきりしているからである。
とすれば、現実の動きが示しているように、通貨はその国の経済力を背景にして初めて成り立つものであるから、アメリカの経済力が衰退した分だけ、ドルの信用力が失われ、逆に日本や西ドイツの経済力が評価されるようになった分だけ、円やマルクが受け入れられるようになる。したがって通貨による世界統一はまだまだ先のことであり、世界通貨として通用してきたドルの衰退によって、通貨は統一と正反対の、分裂の方向に向うものと思われる。

←前ページへ 次ページへ→

目次へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ