円高になるということは、輸出業者にとっては採算が悪化し、輸出が困難になることであるが、日本円の値打ちが出てきて、それだけ円に使いでがあるようになるということである。この数年の動きをふりかえってみると、ドルのレートは1974年末が300.95円、1977年末が240.00円、1978年末が194.60円、それからしばらくドル高に戻って1984年末は251.10円をつけたが、翌年から再び崩れはじめ、85年末には200.50円、86年末には160.05円、87年末には123.00円、そして88年末には125.90円という値をつけた。わずか十年あまりで、300円のドルが215円まで下がっているから、日本円を持っている人は半分以下のお金で外国の物が買えるようになってしまった。
その反面、輸出代金のドルを見返りに円が発行され、空前の金あまり現象が起ったから、「お金を貸してください」と借り手が銀行へ頼みにいっていたのが、逆転して銀行が借り手のところへ「お金を借りてください」と頼みにくるようになった。いくらお金を貸してやるといわれても、成長時代のようにそうむやみに工場の建て増しをしたり、設備投資を拡張していくわけにもいかない。金本位制の時代は、通貨も土地や株と並んで財産であったが、お金がただの紙切れになってしまうと、お金そのものに地金としての値打ちはないから、その金額で買えるかによってお金の値打ちが決まるようになった。お金がゾクゾクと発行されると、日常使われる商品は、必要な数量が確保できれば一応間に合うからさして値上がりしないですむが、土地や株のような財産価値のあるものには限りがあるから、お金のふえた分だけ、あるいは、それ以上に買い上げられてしまう。
どの国でもインフレ傾向が出てくれば、土地も株も値上がりをするが、アメリカに対して貿易黒字の発生している国ほど金あまりが激しいから、値上がり幅が大きくなる。ダウ平均一つ例にとっても、貿易収支の黒字がさほど目立たなかった1982年が7000円台、83年が8000円台、そして年々、黒字がふえるにつれて、ついに3万5000円に手が届くようになった。上場株の時価総額も、82年が98兆円だったのが、88年末には476.8兆円にふくれあがっている。
土地の値上がりはもっと激しく、東京を中心に暴騰を続け、坪あたり一億円の土地も出現するようになった。私の渋谷のオフイス一つを例にとっても、私が25年前に買ったときは坪30万円だったのが、今は4000万円だといっている。東京の中心部の地価はおそらくこの十年間だけで十倍以上にあがっているに違いない。もちろん、日本国中の土地がすべて平均的な値上がりをしているわけではないが、人口の集中している東京、大阪などの大都会の値上がりはとくに激しい。これは都市集中傾向の強い工業国日本をそのまま象徴しているといってよいであろう。
対米為替相場が倍にあがり、株や、土地が五倍にも十倍にも値上がりをすれば、日本人の財産がドル建てでどれだけふえたか、また日本人がどれだけ金持ちになったか、おおよその見当がつく。仮に財産はほとんど持たず、賃金だけで生活をしているとしても、大学出の初任給は1975年が8万3600円で88年は15万3100円だから、十数年でほとんど倍増に近い。労賃だけ比較しても、円高分も含めると、十年あまりで、ドル建てで四倍になっている。日本人の財産を土地や株で持っているとして、しかも、ドル建て勘定にしたら、わずか十年間で二十倍にもなっていることになる。

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