日本に集まりすぎたお金をどう処理していくか

人間は金に不自由しなくなるとどうしても気がゆるむ。
はたしてこれだけ金持ちになっても、日本人は依然として勤労意欲のある国民であり続けることができるのだろうか。またほとんど開発しつくされたと思われる日本の労働資源をさらに再開発して生産性をあげていくことができるものだろうか。働き癖のある人間が一生懸命、働いた結果、金持ちになったというのであれば、働き癖はそのまま持続する。しかし、もともと怠け癖があって、本当なら怠けて暮したいと思っている人間が生活の糧を得るために働く必要がなくなれば、もっと怠け者になることは大いにあり得ることである。
先進国の人々に比べても、発展途上国の人々に比べても、日本人は勤労意欲のある国民にランクされる。「働き中毒」とさえ毒づかれている。しかし、比較的に働き者だといっても、日本人の中には「働き人間」と「怠け人間」 が混在しており、どこの国でもそうだろうが、
「怠け人間」のほうが「働き人間」より数のうえで圧倒的に多い。そういう中にあって「怠け人間」が数をたのんで労働力を売り惜しむようになれば、労働力がただでさえ不足気味なうえに、供給が不足して、 OPECが石油を売り惜しむようなことが起るのではないか。そのたびに東南アジアやインドでの一人分の賃金に相当する金額の賃上げが行われると、世界中、貧乏国と金持ち国の差はますますひらいてしまうのではないか。はたしてそんなことがいつまで続くものだろうか。労働時間の短縮が時代の傾向になると公休日もふえるし、各企業の有給休日もふえる。ギボンの書いた『ローマ帝国衰亡史』によると、ローマが滅びたのは、ローマ人が働かなくなったことと、政府が国民の歓心を買うために、食糧をタダでくばったことが原因しているそうである。その目でみると、最近の日本は休日がふえる一方だし、タダにこそしていないが、米に二重価格をもうけて農民に支払うより安い値段で国民に米を売っている。日本の政治家やお役人はもともと生産者の保護に重点をおき、消費者などまったく眼中にないから、物を安く提供するより、物価を高めに維持して企業の利益を守ろうとする。

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