日本人の消費は高級化と外国でお金を使う方向へ

こうしてみると、日本人は困難とかピンチにはめっぽう強いが、必ずしも合理性の追求をしない国民であることがわかる。円高によって輸出メーカーが死ぬか生きるかの瀬戸際に立たされると、日本人は一致して国難にあたる。しかし、同じ円高が輸入品のコスト安を招いても、国内で売る分については、まるでコスト・ダウンの努力をしようとしない。コストの下がった分を消費者に還元しようなどとは考えない。そういう競争を真剣にしようともしない。先にも述べたように、日本には生産者だけ存在していて、消費者の立場はほとんど無視されてしまっている。したがって、円高が現実になってからは、輸出業者よりは輸入業者や国内向けの商売をやっている人のほうが有利な立場におかれるようになった。輸出メーカーも、輸出に重点をおくよりは、国内向けに商売を切り換えたほうがお金が儲かるといって、国内市場に力を入れ始めている。
日本の消費者もずいぶん甘くみられたものである。せっかく世界一高い賃金をもらっても、買い物に出かけると、べラボーに高い食料品を買わされるし、タクシーに乗っても、レストランに食事に出かけても、財布の中がたちまち空になってしまうほど高い料金をとられる。名目賃金の高さに比して、貨幣の購買力が伴わないから、豊かさに対する実感はなく、いつも「高い高い」「どうして物価はこんなに高いんだろうか」と連発しながら、暮している。こんなことで悩むくらいなら、労賃や収入がそんなにたくさんなくとも、物価がそんなにあがらないですむ方法はないものだろうか、土地がそんなにあがらないで、自分たちの住む家を自分で持てる方法はないものだろうか、とどうして考えないのだろうか。
理論的にいえば、そういう方法がまったくないわけではない。生産者を保護する代りに消費者を保護する方向に少々ハンドルを切り換えるとか、食糧の政府管理を廃止して輸入の自由化をはかるとか、たとえば畜肉を外国で商社に買わせてまた公団が買い上げるような二重手間、三重手間を排除して、商社が輸入してきてそのまま問屋に卸し、問屋がまた小売業者に卸すようにすれば、自由競争の原理が働いて物は安くなる。また大型店舗法を廃止して、アメリカで安売り屋が倉庫のようなところで、ミカンやトイレット・ペーパーをダンボール箱単位で売っているように、日本でも安売りが自由にできるようにすれば、物価を下へ押し下げる可能性はまったくないわけではない。また地価を政策的に抑え込む気があれば、都会地における建ペい率や容積率をふやす反面、木造二階建てで非効率な土地の利用をしている者に対しては、建てかえの奨励と建てない場合の罰則を併せて課するようにすればよい。それによってトクをする業者が現われるかもしれないが、全体として不動産の供給がふえれば、不動産の値上がりは鈍化して、地価を安定させようとする一応の目的は達せられるのである。

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