第八章 金持ちになった国の政府のやるべきことは何か
       国に対する考え方が変れば、国自体も変る

国家がどこまで国民経済に関与するかの線引きが課題になっている
一国の経済秩序や社会秩序を維持していくためには、国の決めたルールを国民に守らせる必要がある。ルールには罰則が伴った法律もあれば、罰則はないけれどもそれを守らなければ、社会がそれを制裁する道徳律というものもある。こうしたルールには万国共通のものもあれば、その国に独特のものもあるが、どちらも人がつくったものであるから、人々の考え方が変れば、その内容も変っていく。ある時代の法律に照らし合わせて国賊よばわりされた人でも、時代が変れば、愛国者にもなれば、国民的英雄にもなる。だから人間の決めた法律や道徳律は永劫不変の「神の捉」というほどのものではない。
経済秩序や社会秩序そのものが、ある時代には何の抵抗もなく受け入れられながら、次の時代には矛盾が生じたり、不公正なものになったり、時代遅れのものになったりする。人間の考えたことだから、考えが変れば、変っていくのがむしろ当然なのであろう。 たとえば、国に対する人たちの考え方一つ例にとっても、時代とともに大きく変っている。
アダム・スミスの『国富論』を読んでいてもすぐにわかることだが、スミスの時代の「国」は「国王」もしくは「君主」と切り離して考えることができなかった。国そのものが「国王」もしくは「君主」のものであり、国家財政は、国の秩序を維持していくための経費を賄うものであると同時に、国王の一族の家計を賄うものでもあった。したがって国王によっては、国の経営のために必要な資金を犠牲にして、宮殿の建設や王妃の歓心を買うための賛沢三昧にうつつを抜かすことが再三ならずあった。
スミスは、「神のみえざる手」の信者であったから、経済活動は国民の自由に任せ、国家の果たす役割は最小限度にとどめておくべきだと考えた。俗に「夜警国家」というように、泥棒が入らないように、火事にならないように、番をしてまわるのが国の仕事であり、それ以上の役割は期待しなかったのである。しかし、その場合でも、それに必要な経費を調達しなければならず、スミスは国民がその分に応じて、自分たちの身の安全と財産を守ってもらう費用を負担するのは当然だと考えた。ただし、税金を取り立てるにあたっては、(1)負担が公平であること、(2)税法が明確で、裁量の余地がないこと、(3)納税期を納税者が払いやすいように配慮すること、(4)徴税に費用がかかりすぎないこと、の必要性を主張した。
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