軍事力を背景にしない一等国こそ先進国

日本はすでに米ソに次ぐ第三位の軍事大国
「主権者もしくは国家の経費について」スミスが『国富論』のなかで論ずるにあたって、まっ先にとりあげたのは軍事費であった。「主権者の第一の義務は、その社会を他の独立社会の暴力と侵略から守るということであるが、これは軍事力によってのみ果たすことができる。しかし、平時にこの軍事力をととのえると共に、戦時にこれを用いるための経費は、社会の状態によって違い、その進歩の段階が違うにつれて大いに変って来る」とスミスは指摘している。スミスに言わせると、狩猟民族も農耕民族もその未開の状態にあったときは自分たちがふだんやっていることの延長線上で戦争をやったので、主権者は軍事費を負担しないですんだ。ところが、製造業が発達し、戦争技術が進歩すると、国家のために軍務に服する人々を、少なくとも実際に軍務に就いているあいだは、国で養わなければならなくなった。
やがてそれは常備軍となって、国がその経費を支払わなければならなくなったのである。
「人民の総数に対する戦争に出られる人の数の割合は、未開社会におけるよりも、文明社会におけるほうが必然的にずっと小さい」
「近代ヨーロッパの文明諸国民のあいだにあっては、どの国でも、その住民の多くて一○○分の一を軍人として使えば、彼らの軍務の経費を支出する国のほうが破滅してしまうと普通、計算されている」
「文明国の国民がその防衛を民兵に依存していると、その国民はたまたま周辺にいるどの野蛮な国民からも征服される危険にいつもさらされていることになる。アジアの文明諸国がいずれもタタール人によってしばしば征服されたということは、野蛮国の民兵のほうが文明国の民兵よりもすぐれていることを充分に立証している。
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