軍律正しい常備軍はいかなる民兵にもまさっている。そういう軍隊は、裕福な文明国民によって最もよく維持されるし、そういう常備軍だけがそういう国民を、貧乏で野蛮な隣国の侵略から守ることができたのである」
以上のような物の見方はスミス以降のすべての文明国の人々の常識であり、だからこそどこの国でも、常備軍の維持のために国家予算のかなりの部分を割くようになったのである。敗戦後の日本では、憲法で戦争を禁じ、武力の全廃を謳ってきたが、日米安保条約が結ばれ、アジアを防衛するにあたってアメリカが日本の協力を必要とするようになると、二年後には早くも自衛隊という名の軍隊が復活するようになった。戦争を禁止した憲法の条文と条文のスキマを埋めてできあがった自衛隊は、当然ながら、海外派兵を禁ずるなどさまざまの制約を受けてきたが、年々、人数的にも装備のうえでも成長を遂げて、現在では陸上自衛隊一五万六○○○人、海上兵力二六万七○○○トン、一六○隻、航空兵力三七七機を擁する大勢力となっている。
また防衛費が GNP の一%をこえないように申し合せをしてきたが、日本の防衛努力を求めるアメリカへの配慮もあって、中曽根内閣の八七年度にはついに一%の枠を突破してしまった。「一%以内」といっていたのが「一%をメド」に変り、他の予算が財政難を理由に抑制されているさなかで、八八年には前年比五・二%、八九年には五・九%も伸びている。八九年度防衛費は金額にすると三兆九一九八億円だから、国家予算六○兆円の六・六%を占めるようになった。国民総生産の中に占める軍事費の割合は決して大きなものではないが、金額にすると、すでに米ソに次ぐ第三位の軍事大国になっており、それがかつて日本の軍靴の下に蹂躙された苦い経験を持つ中国、韓国を初め東南アジアの国々に脅威をあたえ、新聞の論調にも微妙な影をおとしている。
日本人のなかには、「なあに、アメリカとの交際費ですよ」といっている保守派の政治家もいるが、四兆円にものぼる交際費は決して安いものではない。何よりもアジアの人々は、「日本人が再軍備に乗り出したぞ」ときいただけで、「虎を談じて色変ずる」ほどの身震いを感じてしまう。おそらく日本人にとっては思いもよらないことであろうが、日本人がアメリカと組んでアジアのシーラインの防衛に乗り出すときいただけで全アジアが不安のどん底におとしいれられてしまうのである。「日本人は安保のただ乗りをして栄えてきた」というのはアメリカ人の論理であって、アジアの人たちは決してそういう具合には思っていない。アメリカ人の考え方だけが世界の人々を代表しているわけではないことに、日本人はもっと配慮すべきであろう。

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