「援助の哲学」は、教えることで、くれてやることではない

世界中が債権国と債務国にニ分されるようになった
さて、人間は他に抜きん出て金持ちになれば、人から尊敬されるようになる。と同時にやっかみもあって憎まれもすれば、因縁をつけられたりもする。それでいて、あてにされたり、頼りにされたり、なかなか複雑な思いをさせられる。そういった意味では、国といえども決して例外ではない。
日本人が金持ちになっていく過程で、そもそも金持ちというのは、支出より収入が多い状態をさすのだから、貿易収支が黒字になるのはむしろ当然のことだが、あまり大幅な黒字が続くと、「日本人はアンフェアだ」「日本は閉鎖社会だ」「日本人はわれわれとは違った哲学を持って生きている」とか、あること、ないこと、いわれるようになる。ならば、日本人からは物を買わない、日本人は相手にしない、というのかと思ったら、自動車でもVTRでもカメラでも日本製が大いに歓迎されている。これでは(1)日本製に負けないような製品を自分たちでつくるか、少なくとも技術導入して自国内でつくるか、(2)日本から物を輸入した代金を支払えるだけの輸出をするか、の二つに一つしか方法は残っていない。生憎なことに、多くの貿易赤字国はこの二つともすぐには実現できない。生産技術では日本人に劣るし、日本に輸出できるようなものはつくっていない。したがって日本製品に自国市場を荒されると、「日本人はダンピングをしている」と言って怒るし、日本に自国製品を買ってもらえないと、「日本人は閉鎖的で、わざとわれわれの製品を売るときに高い値段をつけて売れないようにしている」と言って日本人を非難する。
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