今後、日本に集まるお金がふえれば、日本に対する未開発国の要求と期待はますますふえる一方だが、ちゃんとした「援助哲学」がなければ、バラまいてもバラまいても、お布施をもらいに来る人がふえるばかりで、今に日本は債務国に食い倒されてしまうだろう。物乞いのために集まって来る人々に大盤振舞いをするくらいなら、難民船に乗って日本へ出稼ぎに来る偽装難民を軍艦島とか、高島に受け入れて働いてもらったほうがずっと、本人たちのためにもなるように思われる。施すことによって、富者は天国へ入れるというのはどこの宗教の教祖も教えているが、後発国の人々への援助は、それぞれの国の中間搾取をできるだけ防ぐことと、援助したことによってその国の人々が自力で所得水準を向上させることができる、ということを目標とすべきであろう。
欧米のODA関係者は、日本が紐つきでないローンをもっと拡大すべきだとか、アジアだけでなく、もっとアフリカあたりに対する政府開発援助を要望しているようだが、援助額をふやしたり、援助の条件をゆるめたら、それぞれの国の経済がそれだけ早く発展するという保証は何もない。援助をふやしたら、「もっと援助を」とさしのべる手がふえることは、乞食の多い観光地で私たちがよく経験していることである。だから、援助をするときは、ちゃんとした原則にのっとって、紐つきで援助するほうがいい。結果としてそれが日本の輸出を促進することになっても、援助した相手国の経済が促進され、民衆の生活が改善されれば、それで目的は達せられるのである。そのためには(1)政府間借款は最小限にとどめる、(2)ダム、道路などのための借款もできるだけ相手国政府の事業からはずして民営にする、(3)農業や工業の技術援助や研究開発や病院の設置運営は無償でやる代りに、支出の監視には関与する、(4)人材の養成に重点をおき、そのために必要な資材や設備に限って援助をする。研修生をできるだけ多く日本に招聴し、日本がどうやって無一文の状態からこれだけ裕福な国になったかを実地に見学させるのも効果的な援助の方法と言ってよいだろう。
「援助の哲学」とは以上のような鉄則をきびしく守ることであって、アメリカが海外援助のうえで踏んだ轍をもう一度ここでくりかえすことではない。世界一の金持ちになった日本人にあたえられた義務は、自分たちが稼いだお金を世界中の貧乏人にバラまくことではなくて、どうすれば日本人のように金持ちになれるかを惜しみなく教えることであると私は確信して疑わない。
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