「『付加価値論』は二十世紀の後半にアジアの東に位置した資源も資本もない貧乏小国日本が世界一の金持ち国になって行くのを目のあたりに見て、その『成功の秘密』を私なりに分析解説する気を起こして書きはじめたものである。 Part : 1 では、主として日本が工業に成功した経過にふれたが、この Part : 2 では、
日本のサービス業、お金の動き、労働資源の開発、そして、日本の役所のはたしてきた役割を取り上げた。
過去にこういう切り口で『経済原論』を執筆した人はいないと思うが、これは私の独創というよりは、ヒト、モノ、カネが世界を狭しと動きまわるようになった国際化時代の社会現象、経済現象をとりあげていけば、自然にこうなるということであろう」。( Part : 2 「まえがき」)

このことは、 Part : 1 の「まえがき」が、アダム・スミスとカール・マルクスへの言及から始まっていることからもうかがわれる。スミス、マルクスといえば、経済学史を代表する巨匠であり、十八世紀のスミスと、十九世紀のマルクスとに、二十世紀のジョン・メイナード・ケインズを加えれば、経済学者の「ビッグ・スリー」となるだろう。すなわち、平易な記述のかげに隠れて、あるいは読者は見逃がしがちかもしれないが、著者は、非常に壮大な意気込みのもとにこの本を書いた。
しかも、この意気込みは、成功裡に達成されていると私は考える。
著者の素材は、「二十世紀の後半に、台湾生まれの私(著者・邱氏)が偶然東京に居を構え、敗戦後の日本がほとんど無一文に近い状態から、約三十年間で世界でも一、二を争う金持ちの国にのしあがって行くのを目のあたりに観察」した結果である。著者はアカデミズムに属する経済学者ではなく、いわば「街のエコノミスト」だが、いかにも「街のエコノミスト」らしいしたたかで、地に足が着いた鋭い観察眼が、随所に光っている。著者が外国人であり、「普通の日本人のようにその渦中に埋没してしまう立場にはない」( Part : 1 「まえがき」)利点も、なかなかよく活かされている。
当然のことながら、著者はなかなかきびしい。たとえばアカデミズムに対しては、「私が大学で習った経済学によると、富は広大な国土や豊富な資源を持つ国のものであり、日本や NIEs の国々のような天然資源に恵まれない国々は貧乏国に分類されていた」(同前)
さらには、アメリカ人の「日本研究」に対しては、「アメリカの経済学者や社会学者のように、日本の事情に精通していない、ほとんど日本語も喋れない人びとが、『象のカラダを撫でながら、象について語る』ような立場でもない」。(同前)このコメントなどは、日本人自身が(たとえば私が)普段から感じていても、なかなかはっきりとはいえないところだろう。この名著が文庫に入って、さらに多くの読者を獲得し、「将来、『日本を研究したいと考える世界中の人々の日本を理解する手引書となれば』」( Part : 2 「まえがき」)という著者の願いがかなえられることは、私にとっても大きな喜びである。


邱永漢『付加価値論』 完結

(この作品は1990年2月にPHP研究所より刊行された。)

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