横山典生  新米のベトナムビジネス物語

ベトナムの証券会社で
唯一最初の日本人社長です

第1回
突然の業務命令

手元にあるパスポートを見てみると、
ベトナムに最初に入国したのは、2008年5月17日。

ボスの山下(現日本アジアグループの会長兼社長)から、
携帯に連絡があって一言、
「ベトナムで証券会社作ってこい。」
といわれたのがその1ヶ月前。

50歳を過ぎていますがまだ息子が小学1年生になったばかりで、
妻も息子も反対するだろうと思いきや、
日の丸振って言ってらっしゃいと大賛成。
上司にも家族にも厳しくも暖かいバックアップを受けて
決心がつきました。

とはいっても、当時グループ会社の日本アジア証券で
役員をやっていたので、バタバタと引継ぎをしながら、
共同出資者の邱永漢氏、藍澤證券の皆様とともに
このプロジェクトの経緯などを伺いました。

きっかけは、ベトナム国営の建築資材メーカーである
ビグラセラグループが経営多角化の一環として
証券会社の設立を模索していたことから始まっています。
建築資材メーカーが
証券会社の知識をもっているわけはありませんので、
当然パートナー探しとなりました。
彼らが邱永漢氏と接触し、
邱氏から藍澤證券そして日本アジアグループへと
話がつながっていきました。

藍澤證券はアジア株式の取次ぎに力を入れている老舗証券で
ベトナム株取次ぎの時期をうかがっていましたし、
日本アジアグループはベトナムに駐在員事務所を出し
投資案件の調査を開始していたのです。
ここにベトナム資本と日本資本が
51%と49%(外国人保有の上限)を出資して
ベトナム証券会社設立のタッグを組んだわけです。

邱永漢氏からは、
「ベトナムの証券会社はまだ信用できません。
安心して投資もできない。
日本人が経営するしっかりした証券会社を作ってください。」
とのこと。

投資の神様が、「儲かりますよ」ではなかったので、
ちょっとズッコケました。


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2009年8月4日(火)

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