横山典生  新米のベトナムビジネス物語

ベトナムの証券会社で
唯一最初の日本人社長です

第2回
パートナーたちとご対面

ボスの山下(現日本アジアグループの会長兼社長)から、
「ベトナムで証券会社作ってこい。」と携帯に連絡があった
その1ヶ月後の2008年5月17日。
ベトナムへと乗り込んできました。 ハノイです。

ベトナム側パートナーの持ち物である
ビグラセラタワーの大会議室で打ち合わせです。
邱永漢氏を除く各出資者の代表が集まりました。

日本側は通訳をつれており、
こちらから話す長さと通訳の話す短さが若干気にはなりましたが、
どうにかこうにか合意内容は、固まりました。

資本金は、41,000,000,000VND。(日本円で約2億2千万円)
経営は日本資本側に任せる。社長は、私。
会長、取締役は日本資本側から。
副会長、取締役をビグラセラ側からといった布陣です。
早速、ビグラセラグループから
プロジェクトの窓口として任命されたのが、
グループ子会社のビグラセラEXIMの社長(現在の会長)、
副社長(現在の社長)でした。

次の日、彼らとの詳細ミーティングに入りました。
英語での会議になりました。
私以外の日本資本側参加者は、
米国、ロンドン、中東などで活躍したつわものです。

大船に乗ったつもりで、私はたかを括っていましたが
皆さんほとんど会話の意味がわからない様子の???状態。

私はといえば結構わかっちゃうんですね、これが。
私は以前勤めていた日本のメガ証券では、
シンガポール、香港を中心に海外勤務も10年ほど経験しており、
徹底的にエイシアン英語(?)で鍛えられていたのです。
特にシンガポールの英語は自信があります。

やっとのことで、会社の設立予定地や
当面のビジネスプランなどの意見交換をしてから
概要をまとめて帰国するのですが、
このとき証券会社の現地監督当局への折衝などを
全面的にベトナム資本側に任せたことが、
本当に正解だったのかいまでもよくわかりません。

大変な1年になるとは夢にも思わなかったのです。


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2009年8月6日(木)

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