第30回
マラソン大会で倒れ意識不明2時間15分
Qさんと初めて出会ったのは、銀行渋谷支店でした。
直木賞作家Qさんはスマートで、艶が良く、
何かオーラのようなものを感じましたね。
そのころの山崎は32歳、残業続きで疲れ果てており、
体重は48キロの「青びょうたん」係長でした。
やがて群馬県高崎支店へ転勤、
上州・空っ風によろよろしてたら、
それを見ていたお隣のデパート社長八木橋豊吉さんが、
「キミ、腹式呼吸を教えて上げよう」
と日曜日、社宅まで来て教えて下さった。
おかげで血色が良くなり、疲れなくなり、
体重は53キロになりました。
それから10年後、支店長になり、
静岡県N支店に単身赴任、益々健康の大切さを痛感しました。
そのころ雑誌で、米国ではジョギングがブームとの記事を見て、
早とちりの山崎は、翌日から実施、
毎朝富士山を眺めながら3000M走り、得意になっていました。
東京・T支店へ転勤して半年、先輩支店長から誘いがあり、
日本タートルマラソン全国大会10キロの部に出場しました。
山崎45歳、1951年9月15日・敬老の日でした。
ゼッケン番号4561。
静岡県田子の浦、
号砲一発1500名の中高年(40〜86歳)一斉にスタート。
2キロ、3キロ快調、台風一過のフェーン現象、気温31度。
5キロで苦しくなり、
7キロで係員からストップ掛けられたのを
振り切って走り続けました。
前日の朝礼でも「明日走るぞ」と云い、
よせばよいのに、お客様にまで吹聴した手前、
どうしてこんなところで止められるか。
気がついたらテントの下、ベッドの上にいました。
お医者さまには「キミ、危なかったね」といわれ、
2時間15分意識不明だったと聞かされました。
早とちり、健康過信の落とし穴が待っていたのですね。
ゆっくり走るジョギングに切り替え、
そして現在は万歩計つけてウォーキング、歩け歩けの毎日です。
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マラソン参加のチームメイト (左端・山崎)
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