日中を股に賭けるビジネスマン・千葉鴻儀さんが見た光と影

第30回
広東人

広東は古代から南蛮の地といわれています。
中原地域と比べると生活環境の厳しい場所でしたので、
古代広東人には高い生存の能力が要求されます。
従って、昔から、広東人は実利的です。
地理的に嶺南山脈は広東を中原文化から隔離してきたせいか、
広東人は儒教や中庸の思想にあまり影響されておらず、
また海に面していることもあり、
広東人はオープン的で柔軟な考え方を持ち、
冒険精神の旺盛な持ち主です。
広州は宋の時代から対外貿易港となっていたことから、
広東人は科挙制度で出世するよりも、
商売をやって金持ちになることを
昔から好んでいたといわれています。
中国では
「東北人は喧嘩に度胸あり、広東人は商売に度胸あり」
と言われています。

歴史的に見ても広東人は開拓精神に富んでいます。
近代中国で起こった西洋文化の導入はほとんど広東からでした。
広東は近代中国の思想家のゆりかごとも言われています。
「清王朝の改革者」の康有為、
「革命の父」孫文はいずれも広東出身です。

広東人の性格特徴をまとめると、
(1)開拓精神。
広東人の先祖たちの多くは中原から流れてきているので、
辺鄙な南蛮の地を開拓せざる得ない立場になっていました。
(2)臨機応変。
昔から広東は辺鄙なところであり、
又争いの絶えない地でもあるので、
広東人は何事に対しても柔軟な態度で対応する習慣ができています。
(3)実務的。
広東人は生き残るための苦しさを十分に知っているので、
実務的です。
(4)政治に興味なし、争いを嫌う。
ようやく皇帝の目が届きにくい地に来たので、
広東人は平和を好み、
実務的な農耕文化、大衆文化、市民文化と
経済文化を形成させました。
(5)オープン。
広東は海外との交流の歴史が長いため、
異なる民族と文化と接触する機会が多かったので、
新しいものに対し寛容的です。
従って近代及び革命は
全て広東から始まったといっても過言ではないでしょう。
ケ小平氏の経済改革も広東から始まり、
中国全体に広がったと言えましょう。

「革命は広東から始まったが、果実を勝ち取るのは北の人だ」
と言われるように、
広東人は政治にこだわりがなく、
中央政府に広東出身の人は稀であることは象徴的です。
文化的な素養に欠けている広東人は長期的な目標がなく、
一般的に自己満足しやすいです。
又、 極めて迷信的で運命や風水を信じています。
レストランから工場まで至る所に神様の偶像が飾られています。
商売をやる時に
ラッキーナンバーや風水に異常まで気を配っています。
新しいファッションや考え方を躊躇なく導入する一方、
伝統的な神様に頼るのは広東人ぐらいでしょう。


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2006年7月21日(金)

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