日中を股に賭けるビジネスマン・千葉鴻儀さんが見た光と影

第36回
安徽人

「安徽商人の行くところに文化が栄える」と言われています。
歴史上、政治文化の発展に寄与した商人の中に安徽商人が有名です。
安徽人の政治に対する熱心さは北京人に引けないほどです。
安徽地方は政治家を輩出しています。
三国時代の曹操、周楡はいずれも安徽出身です。
近代中国の運命に関わる大政治家である清の末期の李鴻章、
中国共産党創造者の陳独秀も安徽人です。
政治と切っても切れない縁のせいか、
安徽商人は政治に強い興味を持っており「官商」として有名です。

安徽地方は文明発達の中原にあり、
儒教文化に強く影響されています。
「誠実」、「信用」、「信義」
は安徽商人の経営哲学となっています。
安徽省の県史にこのような話が載っています。
昔、安徽商人の呉さんは胡椒の商売をしていました。
ある時、購入した胡椒は毒胡椒だったことを発覚しました。
売主はことが暴かれるのを恐れて、買戻ししたいと言ってきました。
呉さんは毒胡椒が再び販売されることを防ぐために、
売主からの買戻しの要求を断り、毒胡椒を焼却処分しました。
安徽商人は利益よりも大義を重んじる典型的な実話です。
儒教の影響が強いため、
安徽商人は商人になるよりも官僚になる願望が強く、
商人でありながら利益軽視の傾向がある一方、
商人としての職業を見下す向きがあります。
そのため、近代文明の洗礼を受けた東南沿海の商人と競争するとき、
度々挫折・失敗を味わい、最終的に凋落に陥りました。

安徽省は南北交流の要にあり、
准河、長江は西から東へ安徽を貫き、
安徽を准北、准南、江准三つの気候の異なる地帯に分けました。
東西南北の安徽人は性格がそれぞれ違います。
准北人は山東省に近いため、
食生活から言葉まで山東人に似ています。
豪快であるが、契約を結ぶ習慣はなく、トラブルになりやすいです。
准南人は福建人、広東人に似ており、聡明且つ勤勉です。
安徽商人の多くは准南人です。
安徽西の人たちは中国共産党の革命根拠地の大別山で生活し
素朴で口数が少なく、商売が苦手です。
一方、安徽東の人たちは江蘇や上海に近いため、
経済に熱心の人が多く、新しい文化を進んで受け入れます。
故郷を離れて大都会へ出稼ぎに行く人が多いです。

安徽省には多くの地方の文化が入り混じっているため、
特徴がそれぞれありますので、
こうした文化と地域の背景を理解したほうが失敗しないでしょう。


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2006年8月11日(金)

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