日中を股に賭けるビジネスマン・千葉鴻儀さんが見た光と影

第55回
福建人

福建といえば、ウーロン茶を連想する人が多いでしょう。
大手飲料メーカのCMのおかげだと思います。
また、一時、福建といえば、不法入国を連想する人もいるでしょう。
それぞれ福建のよい面と悪い面を代表していると思います。
不法入国に関してもすべて悪いと考えてはいけません。
僕の場合は命を懸けて外国に出稼ぎに行く
福建人の勇気に圧倒されてしまいます。

すべての福建人はリスクテーカーというわけでもありません。
地理的及び文化的な影響と制約の理由から、
福建人と言ってもそれぞれ特徴を持っています。
福建北部の人々は貧しくても土地に安住し、
東部の人々は変化を嫌い、
西部の人々は先祖を崇拝し内向的で
南部の人々は出稼ぎが好きと言われております。
商人としての素質といえば、
福建南部の人々は明らかにもっとも優秀です。

歴史上、福建南部は土地が少なく且つ貧しいことから、
人々は自然に海によって生計を立てるようになりました。
明の時代に入り福建南部には海上貿易が盛んとなり、
海上商人の隆起は南部の人々の社会通念まで変えて行きました。
南部は農耕に適していないため、
海上貿易で稼ぐ商人たちは南部の人々の憧れの職業となりました。
南部の人たちはまだ10代の少年なのに
既にビジネスの世界に入って
もまれる身となる人々が多いです。
海での行商は常にリスクが付きまといます。
特にまだ小さな木製漁船の時代に
海上商人は「死」と背合わせの毎日でした。
死を恐れず、苦難を乗り越える強い精神力がなければ、
商人としてやっていけません。
毎日「死」と直面しているので、
生きる欲望も当然他人より強くなり、商売のエネルギーとなります。

6、7年前に台湾で流行った福建南部方言の歌
「アイペェジュエヤー(命を懸ければ初めて勝つことができる)」
は、福建南部人の生き方そのものです。
海上貿易の発達は海外への出稼ぎの引き金となり、
多くの福建南部の人々は命を懸けて海を渡り、
異国でチャンスを求めました。

東南アジアは福建南部人の第二の故郷となりました。
現在、60万人のフィリピン華僑の中に90%は福建出身で、
シンガポールやマレーシア、インドネシアにいる約800万人の華僑は
福建南部方言を使っています。
台湾、香港及び世界各地に散らばっている
福建南部人の子孫はなんと2000万人を超え、
本土にいる福建南部人の人口を超えるまでに
海外で繁栄を遂げています。


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2006年10月27日(金)

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