中国人と日本人 邱永漢

「違いの分かる人」へのヒントがあります

第57回
台湾は中国人にとってテスト・プラントみたいなもの(2)

卑近な例で言えば、香港は阿片戦争後、
イギリス人によって統治されるようになった。
イギリスに割譲された時、
香港は海賊たちの拠り所になった程度の小さな漁村にすぎなかった。

イギリス人の手に渡ると、
イギリス人は母国からの入植を奨励するために、
九百九十九年の期限を切って土地を入植者に貸しあたえた。
イギリス人にはすでにアメリカやインドの植民地があったから、
植民地を統治するについては経験もあったし、
彼らなりのルールも心得ていた。

まず土地の風俗習慣を尊重すること、
イギリス人の風俗習慣を押しつけないこと、
異民族が同居しておれば分割して統治すること。
たとえば、清朝時代、
中国大陸には鞭打ちの刑という体罰があった。
イギリス人はそれをずっと受け継ぎ、
私が戦後、香港に住んだ時期でも、
まだ鞭打ちの刑が継承されて残っていた。

そういうところはさすがイギリス人の面目躍如たるものがあるが、
衛生とか、教育とか、あるいは、治安の維持については、
自分らの母国に見ならった。

議会こそつい最近までなかったけれど、
形ばかりの諮問機関をつくったし、
地元で功労のあった人々には叙勲でそれに報いた。

トップにイギリス人をいただいているが、
その下ではすべての中国人が平等な立場におかれ、
法の前で不当な扱いをすることはなかった。
おかげで人々は自由に生業を営むことができ、
香港は自由港としてアジアでも屈指の国際経済都市に成長した。
しかし、肝心の中国大陸では相も変わらず、
軍閥が跳梁し、政変がくりかえされて、
そのたびに亡命する者と政権を握る者が入れかわった。

亡命する者は亡命先として香港を選んだ。
香港まで辿りつけば、逮捕令の出ている者でも
生命を保証されたからである。
何のことはない、中国人にとって、
イギリス人の統治している香港はこの百年間、
ずっと安全地帯の役割をはたしてくれたのである。

このことは、国民党や共産党にも役立ったが、
私のように、国民党に追われて台湾から逃げ出した者にとっても、
同じように役に立った。
こうなると、中国人はいやでも中国人自身による統治と
イギリス人による統治を比較してしまう。

国民党の時代もろくなことはなかったが、
共産党になってからも恐怖政治は続いた。
統治の実績ということになると、
どう考えても中国人はイギリス人よりも遅れている。
中国人に統治してもらうくらいなら、
まだイギリス人のほうがずっといい。

そう考える人が多い証拠に、前にも述べたように、
サッチャーさんが北京に乗り込んで、
ケ小平との間で香港を返還する約束をした途端に、
香港の株も不動産も三分の一まで大暴落した。

この一点をもってしても、
海外に住む中国人がいかに自分らの国の政府を
信頼していないかがわかる。
中国人自身がそう思っているのだから、
中国人が信頼できるような国づくりをしなければ、
中国人が助かるわけがない。

しかし、このことを
一方的に為政者のせいにするわけにはいかない。
統治する人間や階級の能力にも問題があるだろうけれども、
同時にまた統治される側にも問題があることは疑いない。





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2012年10月3日(水)

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