中国人と日本人 邱永漢

「違いの分かる人」へのヒントがあります

第80回
お金の次に大切なものは義理人情 その3

中国人が義理人情に厚いと言われるのは、
実は社会全体のこうした前時代的な状態と深くかかわっている。
立派な憲法はあっても人権は必ずしも法に定めるとおりには
尊重されていない。
現にいまでも大陸政府の人権軽視がアメリカその他の先進国で
問題にされている。

台湾はいまでこそわれわれは民主主義の国だと胸を張っているが、
ついこの間までは中国大陸と大同小異だった。
三権分立といっても、時の権力者の発言権が強いから、
その意向は無視できないし、裁判官がお金で動く傾向も強い。
こうなると、政府もあてにならないし、警察も頼りにならない。
法律はもっと役に立たない。

結局、あてにできるのはお金だけで、
あとは家族と、家族の延長線上にある
人間関係だけということになる。

どこから見ても中国人の最後の砦は、家族である。
ヨーロッパのような個人主義は中国人の間には見られない。
家長の独裁ではあっても、家長の個人主義ではないから、
家族の結束は堅い。

封建時代に皇帝のご機嫌をそこなうと
「罪が九族まで及んだ」と言われるが、
これは一族皆殺しにしないと、
どこでその残党にカタキを討たれるかわからなかったからである。

ただ世渡りをするのに家族は小さなユニットにすぎないから、
それだけで浮世の荒波は乗り切れない。
自分らを災害から守るためには
各方面にネットワークを築いておく必要がある。

子供たちの結婚を通じて姻戚関係をつくるのもその一つだし、
官界で派閥に加盟するのもその一つである。
「袖振り合うも他生の縁」と言うけれど、
中国人が一番大切にするのはそうした人の縁である。

友だちに紹介されて新しく知り合いになったばかりの人でも、
また旅行先で偶然知り合った人であっても、中国人は大切にする。
飛行機の中で隣り合わせになっただけの人でも、
名刺の交換をすると、ちゃんと時候の挨拶状を送ってきたりする。

こちらがそれに応じて返事を出すと、
こちらが欠礼するまで挨拶状は続く。
「当地においでの節はぜひ言葉をかけてください」というから、
予め日本から電話をかけたり、手紙を出したりすると、
本当に飛行場まで迎えに来てくれるし、
宿の心配や車の手配からご馳走までしてくれる。

その歓待ぶりに感激して、
「日本へもぜひ来てください」と言うと、
それを本気にしてどんな田舎まででも訪ねてくる。
少しでも中国人とつきあったことのある人なら、
一様に中国人のそうした義理堅さを褒めたたえる。

日本人から見ると、中国人はきわめてナニワ節的である。
いや、日本のナニワ節も本当はその原型を
『三国志』に求めることができる。
だがよく考えてみると、ナニワ節がハヤったのは、
それをきいて涙を流す人は多いが、
そのとおりにやる人が少ないからである。

これは日本人だけがそうなのではない。
中国人も基本的には同じである。
にもかかわらず中国人が義理人清にこだわるのは、
お金の次に義理人情が大切なことを痛感しているからである。
そういう中国人の義理堅さに甘えたりしようものなら
「あてとフンドシは向こうからはずれる」と言うように、
肝心なところで肩透かしを食わされることが多い。

舞台の上ではお目にかかっても、
現実には減多に出食わすことのないことだからこそ、
中国人が義理人情を大切にするのだと思ったほうが
あとで失望しないですむ。





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2012年10月27日(土)

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