“蕎麦屋酒”の著者がプロ顔負けの美味探求

第501回
蕎麦の自家栽培を行う理由

蕎麦栽培を最初に開始したのは、1996年の夏。
毎年メンバーは多少代わりながら継続してきて、
今年で11年目となる。
何故蕎麦栽培を始めたのか、その理由は単純。
美味しい蕎麦が食べたかったから。
蕎麦打ちを始めたのが1993年のことで、
やりだしたら面白くてしょうがない。
蕎麦だけでなく、色々な料理にものめり込んでいった。

蕎麦打ちを始めてわかったことは、
いい蕎麦粉でなければ美味しい蕎麦にならないということ。
これは、素人でもプロの蕎麦屋でも同じこと。
もとが悪い蕎麦粉では、
どんな名人が打っても美味しくはならない。
そこで、美味しい蕎麦粉を入手する努力を始めた。
デパート、スーパーなどで売っている蕎麦粉などは論外。
全国の蕎麦専門の製粉所を探し、
石臼挽きのできるだけいい粉を注文して打ち比べをしてきた。

そうしているうちに、
常陸秋蕎麦の名産地である奥久慈地方を
蕎麦打ち仲間と見に行くことになり、
帰りに茨城県鉾田の「村屋東亭」を訪問した。
このときに、ご主人の渡辺維新さんから
蕎麦栽培を奥久慈でやらないかと勧められたことが、
最初のきっかけ。
茨城県の大子の農協に渡辺さんが話しをしてくれて、
借りる畑がみつかった。
渡辺さんと現地を訪問して、農家の方と条件について話をした。
その結果、1反ほどの畑を借りて蕎麦栽培が始まった。
このときは、雨が多く、収穫はわずかに十数キログラム。
しかし、年末に開催した打ち上げで食べた自家栽培蕎麦の味は
メンバー全員が驚愕した。
これまで食べたどの蕎麦よりも濃く深い味わいだった。
その体験で、蕎麦栽培はやみつきになってしまった。

その後、同じ茨城県の山方、
そして、栃木県の馬頭と場所を代えて続けてきた。
現在は、栃木県の芳賀町で十数名のグループで自家栽培を行い、
那珂川町馬頭で地元の農家とコラボレイトしながら、
契約栽培を行っている。
蕎麦の自家栽培をやっていてよかったこととは、
もちろん、普通のこだわりの蕎麦屋でも食べられない
極上の蕎麦が味わえることにもあるが、
それ以上に、蕎麦の道理がよく理解されたことにある。
種撒きから収穫に至る工夫と努力。
天候、気温の影響。水はけ、日当たりなどの畑の環境の影響。
昆虫による受粉が収穫量を左右すること。
そして、収穫した蕎麦を乾燥させ、皮を剥き、製粉する過程。
電動石臼で挽くことと蕎麦粉の粗さの関係。
蕎麦粉の粗さが、蕎麦切りに及ぼす影響。
その蕎麦切りと汁の相性などなど。

実践を通じて、通常の自家製粉手打ち蕎麦屋でもわかっていない、
色々な蕎麦のことわり理が分かった。
蕎麦栽培の経験は、まさに、
ホンダで革新技術の研究開発に携わっていたころ学んだ
「源流に帰る」という哲学を実践してみたことになった。
今年も蕎麦栽培の季節となった。
栃木県芳賀町の畑で
蕎麦の前に育成していたジャガイモと枝豆の収穫を朝から行い、
それに続けて、今年の蕎麦栽培活動の発足会を
宇都宮の居酒屋で行った。
今年もいい蕎麦が収穫できることを期待している。


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2006年7月31日(月)

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