死ぬまで現役

老人を”初体験”する為の心構え




第74回
平衡感覚のためにお金を減らす

家については、多分、最後の家になるだろうと考えて
建てたものであるが、一ぺんお金を使う癖がつくと、
次々と別荘を建てたり、外国に家を買ったり、
買った家の内装にお金をかけたりするようになった。

今までは同じお金を払うのにも、
そのお金がもっと大きなお金になって返ってくることを念頭において、
投資的なお金の使い方をした。
しかし、使っても使わなくとも、
七十七歳になったら全部なくなってしまうのだと思えば、
これ以上ふやしても大して意味がなくなった。
といってふやすのをやめるわけではないが、自分のためではなく、
家族のためとか、部下のためとか、
あるいは、自分がこういうことなら
世の中のためにやってもいいと思っていることのために、
力を貸すことになる。

単純に自分だけのためにやることは、
ふやすことよりも、減らすようである。
お金を減らすことは簡単と思うかもしれないが、
ふやす発想でやってきた人にとっては
減らす努カのほうがエネルギーが消耗する。

それでも減らす努カを続けるのは、
それが人間としての平衡感覚をとる
賢明な方法だと信じているからである。
しかし、だからといって、
今までやってきた仕事はことごとくやめてしまうわけではない。

サラリーマンなら定年があって、
向こうからお払い箱にされてしまうから、
あとをうまくつながないと、
ガックリして急に老けてしまったりする。
私の場合は、人からあたえられた仕事をやる習慣がなく、
自分で自分のやる仕事をつくってきたから、
仕事がなくなるという心配はあまりない。

仕事がなくなるどころか、
次から次へといくらでも思いつくから、
いまでも交通整理をやらないと、
すぐにも渋滞を起こしてしまう。

ところが、あと十二年しか生きないことにきめると、
すでにやりかけた仕事でも、
それが完成するまでにどのくらい時間がかかるか、
軌道にのるまでさらにどのくらい時間がかかるか、
一体、自分はこのプロジェクトの
どのへんまで見届けることができるのか、
といままで大して気にもかけなかったことを気にするようになった。

たとえば、私はゴルフをする習慣がない。
これからも恐らくゴルフ族になる見込みは大してないだろう。
しかし、ひょんなことから
ゴルフ場のオーナーになる破目におちいってしまった。

いまから十七年前、
私は二十四年間も帰らなかった生まれ故郷の台湾へ戻った。
それまで敵対関係にあった国民政府と和解が成り立ち、
請われて故郷の土を踏んだ。台湾へ帰った私は当時、
行政院長(総理)をしていた厳家淦氏のところへ連れて行かれた。

厳さんは蒋介石の死後、総統をつとめた人であるが、
台湾では最も経済に明るい学者肌の人で、初対面であったが、
私とは妙に馬が合った。
巌さんは、私に「台北から高雄まで目下、
高速道路をつくっていますが、
無駄なことにこんなにお金をかけてと、
一部の立法委員(議員)から批判を受けています。
邱先生はその点についてはどうお考えですか?」ときかれた。

私はすかさず「いま一車線で間に合うと思っているところは
二車線に、二車線で大丈夫と思ってつくるところは
三車線にしないとすぐにも間に合わなくなってしまいますよ。
少々、大風呂敷といわれるぐらいでちょうどいいんです。
ついでにいわせてもらえば、
高速道路に反対した議員さんたちには、
高速道路が完成しても利用しないで下さい、
と釘をさしておくといいですよ。
自動車にも乗らないで、
できれば昔と同じように
輪(中国古来の小さなかご)に乗って動いて下さいといって」。

そういって皆で大笑いになったが、
高速道路の工事がどのていどすすんでいるか興味を持ったので、
時間をつくって桃国のインターチェンジの
工事現場まで見学に行った。
そこまで行くのに二時間以上もかかったが、工事が完成すれば、
台北から三十分でついてしまう。
私は東名高速ができて厚木のあたりがどのていど発展し、
土地がどのていど高騰したか、この目で見ているので、
その附近で土地を三十万坪ほど買った。
私について行った私の秘書はハンディ・ゼロのゴルフ青年で、
「センセ、この土地は地形から見てゴルフ場にはもってこいですね」
と盛んにゴルフ場をつくることをすすめたが、
私は北部と南部にーつずつ工業団地をつくりたいと思っていたので、
とにかく土地だけ先に手当てしておいた。





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2015年5月11日(月)

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