死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第40回
倹約とは、自分のお金同様に他人のお金もだいじにすること

同じケチでも、いろいろあると思うんです。
自分にはケチでも、他人に対してケチでもない人もいれば、
人にはケチでも、自分にはケチでない人もいる。
両方にケチの人もいます。
私なんか若いころは、自分にも人にもケチだったんです。

もうひとつは、ケチと倹約は違うということです。
たとえば、私が息子の長電話をどなったのも、
相手が払おうと、ムダはムダと考えたからです。

これは、ケチというより、倹約の精神じゃないでしょうか。
相手が払うのならいくらでも長くしゃべろうというのでは、
品性下劣だと思うんです。

誰かに連れられて、レストランへ行ったとします。
相手が「今日はごちそうしますから、
好きなものを食べなさい」と言われると、
よしっとばかりに高いものを食う。
逆に、自分が払うときは、安いものにする。
若いときは、こういうケチも愛矯があってよろしいが、
歳をとってくると格好がつかなくなります。

社用で食べるときは、精いっぱいぜいたくして、
自分の金で食べるときは、立食いそばですます、
なんていうのも同じです。

倹約の精神があるなら、社用のときも安いものを食べて、
コストダウンのために努力すべきでしょう。

ムダを省く、浪費をしないという点では、
私などは子どものころから、
倹約の精神を仕込まれてきています。
私の生家は、食べ物にぜいたくな家でしたが、
よく母親に
「ぜいたくなものを食べるのはいいが、食べ残してはいけない」
と言われ育ちました。
だから、食べ物を残すと、ひどく叱られたものです。

いまは、私もよくお金を使うようになりましたが、
長い長いケチの道をとおりすぎて、
やっとすこしお金を使うだけの余裕ができたんです。
一生お金を使わずにとおして、
死んでから税務署にそっくり取られるようなら、
私も、ほんもののケチなんでしょうけれど。

一般に、関西の人のほうが東京の人より
経済観念が発達していますから、
倹約の精神も強い。
ケチ本教の元祖とかいわれた吉本晴彦さんなんかは、
かなり倹約の精神も発達しているんですが、
たまに大阪で会うと、
「お久しぶりです。今晩、クラブへでもご一緒しませんか」
とよく言われました。

私が警戒して、「いや、今夜は原稿を書かなきゃならないので、
失礼します」と言うと、
「それは残念です。
それじゃ、今晩は、私がごちそうしたことにしといてください」。
このくらいユーモアのわかる人ですから、
ケチをサカナにして楽しんでいるという感じですね。





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2013年5月11日(土)

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