中国株・起業・人生相談・Q&A-ハイハイQさんQさんデス-邱 永漢

第1391回
西向くサムライさんからのQ(質問):長谷川伸さんについて

連休中に、4月に逝去された村上元三先生(享年96歳)の
「佐々木小次郎」や「水戸黄門」を20年ぶりに読み返しました。
邱先生も、村上先生と同様、
「一本刀土俵入り」や「沓掛時次郎」などの
いわゆる股旅物の名作をものした
故・長谷川伸先生に師事されていたと伺っています。

「香港」で第34回直木賞を受賞された邱先生の作風は、
長谷川先生の作風はとはかなり違うと思われますが、
当時、どのようなお考えで
長谷川先生に弟子入りされたのでしょうか。


■QさんからのA(答え)

私は小説を書いてメシが食っていけると
学生時代に思ったことがありませんでした。
文学青年でしたが、大学は経済学部を選びました。
のちにひょんなことから小説を書くようになった時に、
私の知っている人が
たまたま長谷川伸先生のところに出入りしておりましたので、
私をまず長谷川先生のところに連れて行ってくれたのです。
私の小説を読んだ山岡荘八さんや村上元三さんが、
この人は才能があるから東京へ来るようにと言ってください、
と言ってくれたので、早とちりの私は
それを本気にして東京へ出てきたのです。

でもご指摘の通り
私と股旅物の小説はあまり関係がありませんでしたので、
別に東大の先輩にあたる檀一雄さんに手紙を書いて、
私の小説を見て下さいと頼んだら、
私の小説を見たとたんに檀さんは
私を自分の先生の佐藤春夫先生のところに連れて行ってくれました。
ですから私は大衆畑の人と純文学畑の人と両方から推薦されて、
まあ何とか世の中へ出ることが出来たんです。
文章の書き方ではあまり影響を受けませんでしたが、
文壇に出るについては
長谷川先生にも佐藤先生にも大へんお世話になりました。
誰にどうお世話になったかについては、
私はいつまでも覚えている人なんです。


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2006年6月22日(木)

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