死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

不動産から学ぶ経済の成り立ち

2回
居住性と投資価値の差

とうとう東京に坪当たり一億円という土地が出現した。
一坪は約3.3平米だから、一平米当たり三千万円、
また平方フィートになおすと、
一平方フィート当たり二百七十七万円という数字になる。

一平方フィート当たり
一万五千ドル(ードルー百八十五円)以上もする高い土地は、
世界中どこにも見当たらない。
空前絶後といいたいところだが、
将来もっと高くなることもあり得るから、
空前の高値といったほうが正しいだろう。

七、八年前、世界で一番土地の高かったのは香港であった。
香港は、東京でいえば、世田谷区くらいの広さの狭い面積に、
五百五十万人の人口を詰め込んでいるので、
土地が高くなるのは当然である。

その香港の中で、
一番地価の高い中環が中心部と尖沙咀が
ごく限られた土地の地価が最高だったときが、
日本円になおすと坪当たり六千万円であった。

香港の土地があがりはじめた頃、
私は香港を訪れるたびに、
地価の暴騰ぶりをきかされ、
驚き呆れたものだった。

というのも、私は新しく埋立ててできあがった尖沙咀と
道路一本へだてた隣接地に
敷地五十坪の家を持っていたことがあるが、
土地が暴騰するニ、三年前に
安い値段で売り払ってしまったからである。

これは私の失敗談の1つに数えられるが、
若い頃の私には投資感覚がなかったので、
家を買うときに、投資価値よりも閑静な居住性を重視して
袋小路の奥に家をつくってしまった。
もし私が路地一本隣の広い道に
同じ値段で同じような家を買っていたら、
おそらく私の財産は十倍以上になっていたであろう。

東京に移住して小説家になってからも、
私はその家をずっと売らずに残しておいた。
まだ原稿が売れなくて収入のなかった頃は、
三階分あったその家の家賃で暮らしをたてた。

のちに収入があるようになってからは、
もう家賃収入をあてにしなくともよくなったが、
それでも万一、戦乱になったときに、
避難先として残しておいたほうがいいのではないかと考えた。

普通の日本人にはあまりそういった感覚はない。
住むところは自分の家のあるところときめており、
火事や空襲で焼け出されても、
また同じところに新しく家を建てて戻ってくる。

日本人にはいつも農耕民族的な発想がつきまとっている。
その点、私は若いときに、
台湾で国民政府に叛旗をひるがえし、
生命カラガラ香港に逃げ出した経験を持っているので、
人間またいつどこで、
住みなれた土地や家財道具をおっぽり出したまま
逃げるような目にあわされるかわからない、
という危機感を持っている。

とくに朝鮮事変の起こったとき、
私は香港に住んでいたが、
北鮮から大軍が南下してきたのを見て、
もし韓国が共産軍に占領されたら、日本はどうなるのか、
と気をもんだことがあった。

全面戦争にでもなったら、
食糧が再び逼迫するのではないかと恐れ、
コンビーフの缶詰だけでも百個買溜めをしたりした。

実際にはそこに至るまでに
北鮮軍を押し返したマッカーサー元帥が罷免され、
休戦が成立したが、
おかげでストックした食糧はほとんど役に立たなかった。

私がいまだにコンビーフの缶詰を見ると顔をそむけるのは、
その後、何年にもわたって
コンビーフを食べさせられた後遺症が
いまも残っているからである。

そういう体験をしてきたので、
香港の家を売って東京の土地に買い換える気になれば、
目黒区か、世田谷区あたりで、
五百坪くらいの土地は買えたが、
私は「まあ、いいじゃないか。
生活に困るわけでもないし、
世の中どんなことが起こるかわからないんだから」
とそのまま放置しておいた。

その後、ずいぶんたってから
私は国民政府と和解をして
生まれ故郷の台湾にも帰れるようなったし、
東京にもいくらか財産があるようになったので、
もう二度と住むことになりそうもない香港の財産は
処分しようという気になった。





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2013年7月19日(金)

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