死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

不動産から学ぶ経済の成り立ち

第3回
政治に左右される地価

私は三階建ての鉄筋の洋館のついた五十坪を
たったの八十万香港ドルで処分した。
当時のお金で四千万円くらいにしかならなかった。
たいしたお金でもないし、
家内の長年の苦労をねぎらう意味もあって、
そのまま家内にくれてしまった。

ところが、それから二年もしないうちに尖沙咀の土地は大暴騰をし、
あるとき、香港に行ったら、
家内がどこからかニュースを仕入れてきて、
「私たちの売った家、いまいくらしているか知っている?」
ときくから、
「もう売ってしまったものなんか、いくらだっていいじゃないか」
と気のない返事をしたら、
「あなた、三億円ですよ。あとニ年、
売る時期をズラしておけば、一財産できたのにねえ」

三億円ときけば、いくら私でも少しは心が動く。
しかし、うちの家内は案外、あっさりしたもので、
「でもいいんです。
もし三億円に売れたら、あなたは商売の元手にしようといって、
私にはくれなかったでしょう。
四千万円でちょうどよかったのですよ」
私の香港の友人で、先の先まで読む癖の人がいる。
この人は香港で不動産業に従事し、
すでに何百億円もの資産を擁していたが、
一九九七年が近づいたら、
香港の地価が大暴落するに違いないと読んで、
比較的早くから自分の所有している不動産を処分しはじめ、
一部はアメリカの不動産へ、
また一部は日本の株に移しかえた。

ところが、土地の暴騰はそのあとからはじまり、
二、三年で三、四倍にもはね上がった。
さすがの友人も、ひと頃は香港財界で
すっかり影がうすくなってしまった感じがした。

ところが、間もなく九竜半島の将来について
英中間の外交交渉がはじまり、
ケ小平に会いに行ったサッチャー首相が
階段で蹟いてころぶという場面があった。

香港の新聞という新聞が
デカデカとサッチャーのころぶ姿を報道し、
「交渉を前にころぶとは、さいさきがよくない」
と書きたてた。
あっという間に、香港の土地は三分のーに暴落し、
何千億円という資産を擁する
香港の土地成金たちが一夜で財産を失い、
夜逃げをするという現象が起こった。

香港で不動産成金になった人々は
借金をしては不動産を買い、
買った不動産が値上がりをすると、
また借金をするという積上げの上に財産を築いてきた。

かりに三千億円の時価の不動産と
千五百億円の借金を持っていた人が、
地価が三分のーに暴落したとすれば、
それだけで倒産してしまうのである。

事実、私たちの見ている前で
そういうことが起こったので、
不動産だからといって安心してはおられない。

不動産は、財産の中では
もっとも信頼感の高い財産であり、
どこの国へ行っても
お金を借りるときの担保に使われているが、
その動向は我々の想像以上に政治に大きく左右される。

マニラにおけるこの四、五年来の
不動産の価格を見てもわかる通り、
マルコス王朝の末期は不動産があがらなかったばかりでなく、
資金の海外逃亡が盛んだったので、
どこのホテルもどこのビルも売り一色であった。

台湾の経済環境はマニラなどとは
比べ物にならないほどよいのだが、
それでも香港と同じような不安にさらされている。

一九九七年といった
はっきりした時間的な区切りこそないものの、
蒋経国のあとはどうなるのかといった
政治的不安がつきまとっている。
そのために五、六年前に
地価が天井を打ったのを境に
不動産の価格は下降に転じ、
高値から二、三割は下がってしまった。
またシンガポールも経済的な不況を反映して
不動産業は軒並みピンチにおちいってしまっている。





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2013年7月20日(土)

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