死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

不動産から学ぶ経済の成り立ち

第10回
土地はいつの時代でも高い

のっけから坪一億円もする土地の話になったり、
坪七百五十万円もするマンションの話になってしまった。

サラリーが毎月、二十万円か、
三十万円しかない人に、
そんな天文学的数字を並べ立てて見せたところで、
ポカンと口をあけてきくだけで、
さっぱり実感がない。

自分たちの手の届く範囲で話を展開してくれないか、
と要望する人も多いに違いない。

言われて見れば、確かにその通りで、
一生かかっても二億円から三億円ていどしか収入のない人で、
その収入の中から税金も払わなければならない、
子供の養育費も払わなければならない、
生活費はもとよりのこと、
老後の資金も貯め込まなければならないという人に、
何億円どころか、一ニ千万円、五千万円のマンションの話だって
高嶺の花といってよいだろう。

しかし、だからと言って、
試みる前からもうあきらめてしまうのでは、少々早すぎる。
まず第一に、「不動産は高すぎる」
「上がりすぎだ」とおっしゃるけれども、
不動産の高いのは何も今にはじまったことではない。
いつの時代でも、不動産は庶民の手の届かない高い位置にいる。

土地を手に入れたり、家を建てたりするのは、
昔も今も一生の仕事で、
長い間、こつこつとお金を貯めて念願かなって
やっと自分の家が建つのである。

そうはいうけれども十年前は、
いま坪五百万円しているところが
百万円で買えたじゃないか、二十年前なら
三十万円で買えたじゃないか、
三十年前ならそれこそ十万円もしなかったじゃないか、
と反論する人があるかもしれない。

しかし、その時はその時で収入はもっとずっと少なかったし、
マイホームを持たない人も今よりずっと多かった。
だから、マイホームを持たなくとも
そんなにひけ目を感じなかった。
家くらい、いつでも持てると思えば、
そんなにあせる人もいなかった。

今でも記憶しているが、
昭和二十九年に香港から東京に引っ越してきて、
知り合ったばかりの檀一雄さんに
「自分の近所に引っ越してきませんか」
とすすめられて連れて行かれた
練馬区の石神井公園の付近の土地は、
一坪がたったの五百円であった。

その当時の檀一雄さんの原稿料は一枚が五百円だったから、
原稿用紙一枚分、字で埋めれば
一坪の土地が手に入ったことになる。

しかし、そういう時はまたそういう時で、
土地などそのへんにごろごろしているような感じだったから、
既に流行作家になっていた檀一雄さんにしても
ロクに土地など買おうとはしなかった。

檀さんが住んでいた家は敷地が四百坪もある広大な邸であったが、
土地は借地だったし、家はボロボロだった、
その上、檀さんは放浪癖があって家にいないことも多く、
既に後年の『火宅の人』のキザシが見えていた。

私は私で、まだ小説家の駆け出しにすぎなかったから、
原稿は思うように売れなかったし、
小さな子供を抱えていたので、
脳膜炎の発生率の高い練馬区には住む気がしなかった。

あとになって考えてみると、
もしあの時、練馬区に居を定めていたら、
あるいは広大な屋敷に住むようになったかもしれないが、
しかし、人がどこに住むようになるかは、
はじめからきまっているのではないかと思いたくなるほど、
いろいろな因果関係があって、
しぜんにきまってしまうようなところがある。





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2013年7月27日(土)

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