死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

不動産から学ぶ経済の成り立ち

第15回
家は売ることを考えて選べ

どうせ外国に行って住むのなら、
永住するつもりでも
いつまた帰ってくることになるかわからないし、
外国ならホテル住まいをしても、借家住まいをしても、
そんなに抵抗はないであろう。

ことにポルトガルとか、スリランカとか、いった物価の安い、
素朴な地方に住むなら、
かなり大きな家を安い家賃で借りることができる。
自分のお金を出して買うとしても、
一千万円も出せば、立派な邸宅を手に入れることができる。

したがってお金に余裕があれば、
家を買うのも悪くはないが、
外国の片田舎の家はいくらでも見つけられるし、
家賃も安いし、しかも値上がりはとうてい、
見込まれそうもないから、家は借家に住んで、
自分の資金は東京の都心部で
賃貸用のマンションでも買っておくことをおすすめしたい。

将来、円は一段と高くなる見込みだし、
円建てで家賃収入がふえれば、
往復ビンタで使い手があるようになるからである。

まあ、外国に行って老後を送るというほど
極端なことにならなくとも、
定年後の居を定めるにあたって、
東京以外のところを選択することは充分、考えられることである。

東京都内に既に持家もあり、
その家から通勤のできる範囲に仕事を持っておれば、
新しいマイホームの選択の問題はもちろん、起こらない。
しかし、定年になるまで「転勤」また「転勤」の連続で、
ずっと社宅住まいだったとか、
借家住まいだったとか、
あるいは、東京の郊外に家は建てておいたのだが、
他人に貸したまま立ちのいてもらえそうもない人には、
どこに定年後の居を定めようかという問題が生ずる。

定年後も依然として仕事を中心として物を考える人なら
仕事を中心に住宅問題を考えなければならないだろう。
しかし、現職の間は人の言いなりになってきたのだから、
せめて定年後は自分の自由勝手に生きたいと思う人もあろうし、
故郷へ帰ってのんびり暮らしたいと思っている人もあろうし、
家をまずつくってから
仕事はその都合できめればよいと考える人もあろう。

そういう人にとって、新しい家を建てるについて、
都心部の土地の高いところを選ぶことはほとんど不可能に近い。
かりに私に選ばせるとしても、
東京から車もしくは電車で一時間か、二時間か、
かかる距離にある小都市を選ぶだろう。
現在、私の住んでいる渋谷の付近は
住宅地でも坪当たり一千万円以上もするそうだが、
たとえば、筑波の山麓とか、
小名浜の海岸に行くと、相当眺めのよいところでも、
坪当たり二十万円か三十万円出せば立派なところが手に入る。

百坪買って二、三千万円、建物に二千万円も払ったら、
かなり理想的な家ができあがるのではないか。

しかし、年をとってから生活の環境をあまり激しく変えると、
精神的にも肉体的にもショックが大きく、
早く老化することが考えられる。

よく年をとったら、田舎に引っ込んで
庭いじりでもしたいと言って、
知人一人いない人里離れた温泉地の
分譲別荘地などを購入したりする人がある。

永年、慣れてきた職場を離れるだけでもショックなのに、
その上、ふだん交際していた人々の顔も見なくなると、
実社会からいよいよ隔絶されて、戸惑いを生じ、
いっぺんに年をとってしまう。

だから、住まいは元のままにして、
仕事場だけ変えるというほうが理想だが、
社宅からマンションに変わるくらいはやむを得ないし、
また好みの問題だが、
故郷へ帰って家を建てたり、
首都圏内の少し気候のよいロケーションを選んで
新しく家を建てたりするのも許容範囲内と考えてよいだろう。

ただし、その場合でも、経済観念のある人なら、
自分が死んだあとにその家はいくらに売れるだろうか。
万一、自分がその家に住まなくなって引っ越しをしたら、
いくらくらいに売れるだろうか、
というていどのことは考える。
家というものは、自分が売らなくとも、
いずれは誰かが売りとばして
代がわりをする運命にあるものだからである。





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2013年8月1日(木)

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