死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

不動産から学ぶ経済の成り立ち

第22
貨幣と物価の魔術

土地の値段があがるたびに、
「もうこんなに高くなったら、
土地の商売は引き合わないだろう」と嘆く声をよくきく。

たとえば、坪当たり一億円の土地にビルを建てて貸しても、
いまの家賃水準で測る限りでは、
銀行の定期預金利息にも及ばない。

坪一千万円の土地を買ってマンションを建てて売るとして、
売値を坪一千万円に設定しても引き合わない。
また坪五百万円の土地を五十坪買って家を建てたいと思っても、
地価だけで二億五千万円もかかってしまう。
月に百万円の収入のある会社の社長さんだって、
その負担に耐えられないだろう。
サラリーマンに至っては、
家やマンションを手に入れるのはほとんど絶望的である。

サラリーマンの一生の収入を累計しても、三億円に足らず、
その金額の中から税金も天引きされるし、
生活費も払わなければならないし、
子供たちが将来、大学に行くときの学資に備えて
貯蓄もしなければならない。

あれこれ必要な出費を計算してみると、
普通のサラリーマンが都心部で自分の家を持つことは、
ほとんど不可能に近いのである。

しかし、よく考えてみたら、
こういう嘆きは今にはじまったことではない。

土地はいつの時代でも高かったし、
庶民の収入と比べて不当にアンバランスだったし、
サラリーマンにとっては夢のまた夢であった。

だから東京の中心部の麹町、
麹町とか、南平台、松濤のような高級住宅地には
手が出なかったが、
現実にマイホームを確保する必要はあったし、
また手の届くところに土地を買うよりほかなかったので、
サラリーマンの住宅区は郊外へ、郊外へと広がって行った。

田園や畑の中に、家が建ちはじめたな、と思っているうちに、
たちまち新しい住宅街ができあがってしまう。

早くに割安の土地を買った人は、
たとえ住宅ローンを組んで買った土地だろうと、
親戚から借りまくって買った土地だろうと、
何倍も何十倍も値上がりをして
思わぬ財産ができあがってしまっている。

収入や支出や物価を固定したものとして計算してみたら、
土地も買えない、家も建てられなかったはずである。
それがちゃんと手に入ったのは、
世の中が変わると、収入も支出も物価も次々と変動し、
うまくその動きに便乗することができたからである。

十年もたつと、十五年たっても返せないと思っていた借金が
ちゃんと返し終わっている。
返し終わっていないとしても、
資産価値と比べて借金が相対的に小さくなって、
借金が苦にならない状態になっている。

いずれも貨幣と物価の魔術がもたらしたものであるが、
個人にとって一見、途方もない金額の買物であっても、
全体として見ると、地球上にある財産や土地は、
誰かが所有するものであるから、
誰かの手中に入ることは間違いないのである。

お金があればより手に入りやすいことは事実だが、
三文の価値もなかった土地でも、
そこに多くの人が集まってきて、
材木置場、砂利置場だったところが
繁華街の真ん中になってしまえば、
たちまち財産価値が十倍にも百倍にもはねあがる。

たとえば柏の駅前とか、町田の駅前は、
三十数年前は反当たりいくらという評価だったが、
今では坪一千万円でも買えない。

ということは、金儲けのうまい人なら
つねに財産がふくらんで行くということではなくて、
人が通るようになれば、自然に道ができ、
安い土地でも高くなり、
金のなかった人でも大金持ちになったりするということである。

時代によって、また社会の発展の仕方によって、
ある人のふところがふくらみ、
ある人の財布がだんだん心細くなって行く。

そういう変化のある時はお金の流れも激しく変わっているから、
土地を手に入れてお金を儲ける人もあれば、
土地を売ってそのチャンスを失う人も現れ、
土地の持ち主も次々と変わって行くのである。





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2013年8月8日(木)

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