死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

不動産から学ぶ経済の成り立ち

第32回
地方都市で地価のあがるところ

しかし、地方都市の経済力は、
東京、大阪、名古屋とは比較にならないほど弱い。
日本全体の経済力を百とすれば、おそらく首都圏が50、
京阪神でやっと10、あと全部あわせても
40くらいのものであろう。
土地の価格は、それを買おうとするお金の流れが大きくなれば、
当然、あがるものであるが、
いくら買う力が大きいといっても、最終的には、
その土地の採算性にしばられる。

アダム・スミスも言っているように、
土地はそれ自身が価値を生み出すものではない。
土地の上で労働と資本とによって生み出された
余剰の部分が大きくなれば、
地主の取り分がふえるが、その部分がなくなってしまえば、
地主の取り分はゼロになってしまうものなのである。
耕やしても何の収入ももたらさない荒地から
地主は何ももらうことはできないのを見てもわかる通りである。

東京の中心部の地価が高いのは、そこに多くの人が集まり、
そこで商売をやれば、お金が儲かるからである。
お金が儲かると思えば、高い家賃を払って借りたい
という人がいくらでも現れる。

もしくは高い代価を払って
自分でそれを買って商売をやる人も現れる。
その土地から生み出される利潤の部分が多ければ多いほど
地代や家賃は高くなり、それにつれて不動産の価格も上昇をする。

したがって大都会の中心部ほど
地価が高くなるのはごく自然の成行きといってよいだろう。

ところが、地方へ行けば行くほど、
また人ロが希薄になればなるほど、
儲けのチャンスは少なくなる。
多分、北海道では札幌に、東北地方では仙台に
一番人ロが集中しているし、
今後、さらに集中の度合いは密になるであろう。

それぞれのブロックの中でも片田舎に行くほど仕事がないので、
就業のチャンスは少ない。
東京まで行かなくとも、
ブロックの中心地に出てさえくれば、
とにかく食べることだけは何とかなる。

そういった現実があるので、
東京や大阪とは比べ物にならないが、
札幌や仙台や広島や福岡には
とにかくそのブロックの過疎地帯から人々が集まってくる。

また同じ県内でも、鹿児島市とか金沢市とか、
松山市とか、同じ県内で県庁所在地に匹敵するような
県内都市がない地方では県庁所在地へ人ロが集まってくるので、
そういうところの土地は、
過疎地帯に比べて値上がりをする必然性を持っているのである。

もちろん、大都会に比べると、
中都市以下の地方都市では採算のとれる商売は少ない。
目抜き通りの土地でさえあればよい、
ビルを建てておけば、誰か借りてくれる人が現れるだろう、
くらいの安易な気持ちで、
金の力に任せて日本国中の保険会社が
地方大都市の駅前大通りにビルを建てているが、
テナントのえり好みがきびしいせいもあって、
何年も空室になっているのが目立つ。

あれを見ていると、地方都市の開発は、
無計画にやるべきものではなく、
新しく需要をつくり出すような
プロジェクトでないと成り立たないことがわかる。

最近は、授業料をあれこれ払ってきたせいか、
地方に土地を持っている人も、
新しくお金を出す保険会社や
建設会社もだんだんそのことがわかってきた。

久しぶりに地方都市に行ってみて、
「おや、ずいぶん立派なホテルができたなあ」
「地方にしてはどうして
こんな立派なデパートが建ったのだろうか」と感心していると、
たいていビルの目立たないところに、
それを建てた保険会社や建設会社など、
持ち主の名前が書いてある。

やはり地方都市でビルを建てるときは、
あらかじめ使用目的をきめておいて、
それに合わせた建物づくりをやらないと、
商売とて成り立たないことが認識されてきたのである。

つまり地方都市の土地の値上がりは、
全国的な通貨インフレにならない限り、
まず土地の利用を考えなければならず、
うまくそういう穴場を見つけた人に利益をもたらし、
それが地価を押し上げて行くものなのである。





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2013年8月30日(金)

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