死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

不動産から学ぶ経済の成り立ち

第38回
若いセンスがファッション街を育てる

もうニ十何年も前のことになるが、街を歩いていて、
いつも表参道を通るたびに、ここが一番美しい街だと思った。
本当は皇居沿いの通りがもっと一枚うわてで、
文芸春秋の社長をしていた池島信平さんも、
「外国へ行くと、ああいう通りが
ショッピング街になっていることが多い。
東京もお濠端をショッピング・センターにしたら
楽しい通りになるだろう」
と新聞のコラムで提案していたことがあった。

なるほどと感心したことがあったが、
日本ではそうした識者の意見が
行政面に反映されることは滅多にない。
お濠端が昔のままお役所の建物に占領され、
さっぱり人通りがないのを見てもわかる。

その点、原宿の表参道は通りが広いし、
あの興ざめな歩道橋を除けば、
シャンゼリーゼの大通りと共通する雰囲気を持っている。
だから将来は東京のファッション通りになるのではないかと
ひそかに考え、明治通りとの交差点の近ぐに、
三十坪ほどの小さな敷地を求めて
ファッション・ビジネス向きの建物をつくったことがある。

その頃はまだあちらこちら空地があったので、
ほかにも土地を買おうと思って努力したが、
あまり資金もなかったし、
銀行からうまくお金を借りる才覚にも欠けていたので、
とうとう思うような土地が手に入らなかった。

そのうちに、あれよあれよと
「若者とファッションの街」に変貌してしまったので、
もう二度と手を出すチャンスを失ってしまった。

次に私が選んだのは、青葉台の自宅であった。
このときも、旧山手通りの雰囲気は
表参道に次ぐものではないかと思ったが、
当時はまだ閑静な住宅街にすぎなかっためで、
まさかファッション業者たちがドッと押し寄せてくるとは
想像もしていなかったり、ただ目をつけるところは
たいてい似たり寄ったりなので、
資本が豊かになった分だけこれはと思ったところに投資が集中し、
街の空気もたぢまち様相が一変してしまう。

何回となくこうした体験をしたので、
次第に次のファッション街はどこになりそうかということに
もう少し熱心に目を向けるようになり、
次は代官山じゃないか、いや、次は広尾じゃないか、
と思うようになった。

ほぼ同じ時期に、ここは賑やかになるだろうと思った通りは
このほかに、NHKにあがる公園通り、
六本木の交差点のアマンドの喫茶店から麻布へ下りて行く道、
それに青山通りのVANのビルから新宿へ抜ける通りである。

この三つともハイファッションの通りになったが、
私自身はさすがにそこまで手を伸ばす余裕はなかった。

代官山と広尾については、
私自身の選択というよりは、
うちの子供たちのセンスによりかかったものである。

たまたまうちの次男は大学を卒業して
アメリカに留学する前後からファッションにこりはじめ、
ニューヨーク大学へ行ってからもレイアウトという
あやしげな学科を選んで、
アメリカの若い女たちのまじって勉強をした。

帰る前になると、東京でファッションの店をひらきたい、
ついでは代官山に店をつくりたい、
何とか代官山に店舗を見つけてもらいたいと言ってきた。

こちらも親バカだから、近くのことでもあり、
毎日あのあたりを行き来しているうちに、
マンションの一階に売り物が出たので、すぐに買った。
確か坪あたり三百万円足らずだったから、
今、考えて見ると、ずいぶん安かったことになる。

広尾については、うちの長女が見つけてきた。
広尾の明治屋が新しくできた大通りは
地下鉄も通るようになったし、
六本木との間が途中で少し切れているが、
六本木につづくハイファッションの通りに
なりつつあることは私も気づいていた。

たまたま娘がヘクセンハウスという
ハム、ベーコンの店を
弟のやっていた代官山の店のあとでやっていて、
同じようにムードのある街で店をひらきたいと
広尾の周辺を探しに出かけた。

「どこか店を貸すところはありませんか」と、
ある日、不動産屋にとびこんだら、
「貸す店はないが売りたいという人から
今朝、電話がかかっています」と言うので、
さっそく、案内してもらったところ、
ナショナル・マーケットのすぐお隣の
またとないいい場所だったので、
その日のうちに女房と私が狩り出され、
次の日には娘と長男が手付けを打ちに行った。

あとできいてみると、私たちが手付けを打ったあとに
六十人も買手が現れたそうだから、
日本の大会社のように、取締役会で
いちいちリンギにかけていたのでは、
土地に関する限りとても間にあわないのである。

おかげで広尾にも、切手くらいの小さな土地が手に入ったが、
広尾はもともと大して豊かな人の住んでいる土地ではないから、
周囲の購買力も低いし、
新しく引っ越してきた住人に対して
嫉妬の火を燃やす人が多いから、
新しい住人たちはいずれも神経戦に悩まされているようである。

したがって店はできても外から見ているほど
売上げのほうは今一つパッとせず、
おそらく業績をあげていない店が多いのではあるまいか。

それでいて地価のほうは十年も二十年も
先を見て暴騰しているから、
不動産屋にとっては有難い存在だが、
商売人の大半は頭を抱え込んでいるのが現状である。





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2013年9月5日(木)

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