死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

不動産から学ぶ経済の成り立ち

第39回
ムードも大切な土地選択の基準

不動産の選択には銀座よりは、
新宿か、渋谷か、池袋、もうーつのラインは、
銀座よりは、原宿か、代官山か、広尾、
といったラインが考えられる。
少なくとも新規に投資をするのなら、古い街よりは新しい街のほうがよい。

私は親から財産をもらったわけでもなく、
銀行から無限にいくらでも
お金を借りられる立場にもいなかったので、
不動産を買うときも
いつも採算のことが頭を離れなかった。
事業家のように、ほかに金儲けの手段があり、
儲けたお金で土地を買う立場なら、
すぐに返済をすることなど考えなくともよい。

買った土地を空地のまま放置しておいて、
値上がりを待ってもよいのである。

ところが、私の場合、
頭金にするくらいのお金は
自分で何とか稼ぎ出すことができたとしても、
あとのお金は銀行から融資を受けるよりほかないし、
すると、金利と元金の返済がすぐにも追っかけてくる。

だから派手な買占めもできないし、
買った土地からさっそくにも収入を得るよりほかない。

そうした限られた条件の下で土地探しをやったので、
たとえば、銀座、新宿へ渋谷と三つの地域を並べられると、
渋谷を選ぶよりほかなかった。

どうしてそういうことになるかというと
既に銀座は盛りをすぎて斜陽化のきざしを見せ、
人通りは銀座よりもターミナルの性格を持つ新宿に移っている。

その新宿に比べると渋谷のほうがまだ田舎であり、
地価も新宿に比べてまだ半額でしかない。
ところが、半額の地価のところに
ビルを建てて貸すと家賃は新宿と同じ値段で貸せる。
これなら誰だって渋谷を選ぶ気になるだろう。
そのうえ、渋谷のほうがお客の質も新宿よりはよいときている。

というのも新宿の駅の乗り下りは渋谷より多いが、
それらの乗客のほとんどが若者によって占められている。
若者はどうしたって年配者よりはふところが淋しい。
だから乗降客の多さに比して新宿の購買力は決して強くない。

その点、渋谷の背景になっている東横線、
玉川線、井の頭線には高級住宅が多く、
客筋もよいので、デパートもよく繁盛している。

現に私が、自分の一軒目のビルを渋谷に建てたとき、
渋谷にはまだあちこちに歯抜けのように空地があった。
しかし、間もなく、西武百貨店が渋谷に進出する旨、
新聞が報じたのでそれを食卓の話題にしたら、
まだ小学生であったうちの次男が
「西武デパートが店をつくるくらいだから、
渋谷は賑やかになるよねえ」
とオトナのような口をきいたので、
子供でもこんなことに気づくのかと驚いたことを覚えている。

その後、私は次々と渋谷界隈でビルを建て、
それが今日では銀座や丸の内に負けない値段になっている。
やはり、これから発展しそうな
ターミナル駅の周辺を選んだほうが、
既に完成している街の土地を買うより有利なことは確かであろう。

しかし、土地の選び方は
人通りが多くなるかどうかを基準にすることも大切だが、
ムードで選ぶこともそれに劣らないくらい大切なことである。

もう死んでしまったが、
私の友人で靴のデザイナーとして、
有名女優たちの間で人気のあった人がいる。

この人は自分の店を青山においたが、
いつもロ癖のように、
「もう銀座は古いですよ。
戦前のお店は銀座資生堂と銘を打っているように
銀座に本店があれば、それでよかったのですが、
新しいファッションデザイナーにとって青山はメッカです」
と言っていた。

VANやJUNをはじめ、
当時、頭角を現しはじめた流行産業はヘアデザイナーでも、
毛皮屋でも、青山通りか、
青山の裏通りに引っ越して来ることが多くなり、
やがて原宿がファッションの街になって行った。

しかし、ファッションは普及して行くにつれて
年齢層が下がる傾向がある。

二十代を対象に築いたつもりのファッションでも
十七歳に下がり、やがて十五歳、十三歳と下へ広がって行く。
そのせいだろうか、若者の街、原宿は
たちまちジャリの街と化してしまった。

もちろんジャリの街にもジャリの街なりの商売の仕方がある。
原宿のラ・フォーレの、坪当たり営業額が一時期、
業界一になった実績もあるし、
タケノコ族のばっこによって竹下通りで
クレープがハヤるという現象も起こっている。

しかし、ジャリの街になると、
もう少し上の年齢層の人たちが避けて通るようになるから、
たとえば二十代から三十代はじめの若者たちを相手の
ファッション・ビジネスをやっている人たちは
この街で商売ができなくなる。

人通りは多いのだが、商売の相手がいなくなったのと、
人通りが多いために家を借りるときの家賃や
権利金が高くなりすぎたので、
お金がなくて才能のあるファッションデザイナーたちは、
もっと安く借りられて、もう少し上の年齢層を相手にできる
新しい街を探して出て行こうとする。

第ニのソーホー、第三のソーホーを探して回ることになり、
そういう目的の下に新しく開発されたのが代官山であり、
広尾であった。





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2013年9月6日(金)

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