死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

不動産から学ぶ経済の成り立ち

第73回
「別荘」は持つと苦労するが

東京も都心部の建ぺい率を緩和することと
リニア・モーターカーの開発によって、
東京で働く人たちの住宅問題を大幅に解決することができる。

しかし、いずれも政治がらみの問題だから
強い政治力と確たる信念を持った政治家が現れない限り
実現まで辿りつくことは期待できない。

一流の不動産会社でも、電鉄会社でも、
自分たちの資力だけではどうにもならないことだから、
政府のプロジェクトに民間企業が参加する形でしか
実現までこぎつけることはできないだろう。

不動産会社にできることと言えば、
精々、首都圏のしかるべき地域に
セカンド・ハウス、クアハウスの類いを
建てることくらいなものである。

長い間、私は別荘を持つことに反対してきた。
それは私が実際に別荘を持ってみて、
別荘を持つことの「情なさ」というか、
「値打ちのなさ」を身をもって味わったことがあるからである。

もう二十年以上も昔のことであるが、真夏の暑い盛りに、
新聞社の事業部が
「楽しい別荘のつどい」というイベントを主催したことがあった。
私は女房や子供たちを軽井沢の別荘においたまま
一人で東京に出て来ていた。

「楽しい別荘のつどい」と言っても、
私自身そんなに楽しいと思っていないのだから、
ご期待には添えないですよ、と断ったのだが、
どうしても出席してほしいと誘われた。

しぶしぶ出て見ると、
はたして女性の評論家や作家の人たちが
新聞社の意向を念頭において、
別荘を持つことがいかに素晴らしいことか
といったことをくどくどと述べている。

私の番になったので、
「さきほどからきいていると、
別荘を持つことこそ
文化生活であるかのようなお話ばっかりですが、
私にはとてもそういう具合には思えない。
どうしてだろうかと考えてみたら、
今日のお客さんも壇上で喋っている講師の先生方も
いずれも別荘を持っていない人たちだということに気がついた。
別荘を持っている人なら、
この暑い真っ盛りに東京にいる筈がない。
みんな別荘に行っている。
今、ここにいるということが
別荘を持っていない証拠みたいなもので、
したがって別荘を持たない同士で別荘が持てたらいいですね、
と空想を楽しんでいるようなものです」
そう言ったら、居並ぶ人たちの間から爆笑が湧いた。

私は軽井沢に別荘を持っているけれども、
別荘は皆さんが考えるほど楽しいものじゃありません。
別荘を建てるのにお金がかかるのは、
はじめからわかっていることですから、別に苦になりません。
そんなことよりも、別荘を建てると、
他人に自慢したくなって会う人ごとに、
今度、別荘を建てましたから遊びに来て下さいと、
誘ったりします。

時候の挨拶くらいに思ってきいてくれればいいのですが、
なかには本気にして押しかけてくる人もあります。
そうしたお客が、自分のフトンを敷いたりたたんだり、
自分の食べたお茶碗を洗ったりしてくれればよいのですが、
子供の学校の先生などは自分の子供まで連れてきて、
ドカッとソファに座り込んだまま、
うちの女房を召使のように使います。

お手伝いさんも一人は連れてきているのですが、
一人だけではこれだけのお客のもてなしをするのには足りないし、
ふだんよりお客が多いくらいですから、
女房がへとへとになってしまいます。
骨休めどころか、東京にいるときより疲れるとぼやきます。





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2013年10月10日(木)

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