死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

不動産から学ぶ経済の成り立ち

第80回
土地暴騰はしばらくは休み

しかし、日本の税制では、
短期間に不動産をころがして儲けた利益に対して
きびしい税率を適用するので、
何ほどのお金も手元に残らないが、
十年以上の長期にわたって保有した土地とか、
自分の居住用住宅を売って、それに相当する金額か、
それ以上の金額の土地建物に換えれば、
譲渡所得税は免除になるという規定がある。

この規定を活用するのと、しないのとでは
何億円、何十億円の税金を払うか、払わないですむか、
の差がついてしまう。
だから誰だって「買換えによる圧縮記帳の規定」
の適用を受けようとする。
このことはとりもなおさず、
高くなった東京の土地を売った人が、
大阪とか、名古屋とか、あるいは、
それ以下の地方都市の土地に乗り換えれば、
税金はとられないですむ、ということにほかならないから、
都心部の地価の暴騰が地方都市に波及しないわけがないだろう。

「地価の値上がりは地方都市に波及する」を書いたのは、
そうしたお金の動きを察したからである。
あれからちょうど一年たったが、
首都圏周辺及びそれぞれのブロックの中心地の地価は
見違えるような値上がりをした。
仙台市の目抜き通りの地価でも
一坪三千万円になったというから、
大よその見当がつくだろう。
実はこれで地価の暴騰は一巡したことになる。

昭和六十二年の下半期になってから
やっと総理大臣が地価の暴騰を批判したが、
政府が抑制策を実行に移す必要はもうほとんどないだろう。
抑制策を講じなくとも、
もうあと五、六年は地価はあがる見込みはないからである。

政府の地価対策はいつも後手後手にまわる。
地価が暴騰して庶民が自分の家さえ買えないのは
決して理想的な社会とはいえないが、
地価があがれば、固定資産税も黙っていてもふくれあがるし、
不動産取得税や登録税もしぜんにふえて、
痛し癖しの面もある。

だから一通り暴騰が終わったあとで、
ほんの申しわけに罰金的性格の税金をかけたり、
売買にいちゃもんをつけたりする。
どうせもう放置しておいても、
当分地価が上昇する心配はないのだから、
そのうちにお役所も国民もみな忘れてしまうだろう。
解決を先へ先へと引きのばしているうちに、
人々は高い地価になれっこになってしまうのである。

ではこれでもう地価はストップしてしまうのだろうか。
一坪一億円などというベラボーな値がついたら、
あとは政変みたいなものにでも見舞われて、
地価が下がったりするときがくるのだろうか。
香港やシンガポールでは
地価が値下がりするという経験をしている。

フィリピンのように売手ばかりで買手のないところもある。
広い世界にはどこでどういうことが起きるか、
見当もつかないようなことが起きるから、
はっきりと断言することはできないけれども、
革命のようなことでも起こらない限り、
また経済が衰亡して一年に生産されるものより消費が多くなって
資本の食い潰しでも起こらない限り、
土地が暴落することはまずあり得ないだろう。

私たちの資産を形成するものには、
不動産、株、その他の有価証券、
黄金などを含む貴金属、宝石、書画骨董、家財道具などがあるが、
最も広汎にわたって所有され、
かついつの時代でも最も信頼されているのは不動産であろう。

もちろん、農村社会では農地が財産の中心的存在であった。
土地に対する農民の執着は工業化社会になっても、
そのまま受け継がれている。
しかし、工業が社会の主流をなすようになると、
工場用地は農地より単位面積あたりで
もっと多くの人々を養うようになるし、
さらに脱工業化社会になると、
単位面積当たりの収益の高い繁華街の土地が
最も高い値段で取引されるようになる。

東京でいえば、銀座の鳩居堂のあたりとか、
新宿の高野のあたりが地価の最も高いところであるが、
たとえそれがまったく採算をはずしたベラボーなものであろうと、
何年かたって人々がその高値に慣れっこになり、
かつ循環する紙幣の量がさらにふえれば、
もう一段と高値になることは考えられないことではない。





←前回記事へ

2013年10月17日(木)

次回記事へ→
中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」

ホーム
最新記事へ