至福の一皿を求めて おいしさの裏側にある話

第11回
自分のルール、みんなのルール

取材する側とされる側
その距離感はとても難しいものです。
「何を伝えるか」にもよりますが、基本的に
肩入れしすぎてはいけないし、愛情がなくてもいけない。
けれどいちばんいけないのは
信頼関係を作ることができない、という事態です。

以前、あるレストランに取材したときのこと。
そのシェフはひと目でイライラしているのがわかりました。
必要最低限の情報を一方的にまくしたて
営業時間は「○時から○時」とだけ答えます。
私が、それはラストオーダーの時間ですか?
と確認すると、彼は大きな声で一喝しました。
「常識だ」
有名なシェフであり、偉大な仕事をされてきたシェフです。
でも、それは常識ではありません。

雑誌の場合、たいてい各誌によってフォーマットがあり
表記の仕方がそれぞれ統一されています。
ですから、雑誌によって書き方は違います。
またお店の都合で言えば
「うちはラストオーダーを取ってないから
閉店時間で書いて欲しい」ということもあるし
「最後の客が帰るまでは閉めないので
時間を書かないで欲しい」という店も、
ラスト・イン(最終入店時間)で表記する場合もあります。
少なくとも、私はそういう店を知っている。
だから確認する必要があるのです。

でも問題は、彼がそれを知らなかったことでなく
自分の狭い「常識」を疑いもせず
取材者を最初から受け入れなかったこと。

彼はオープンを控えて気が立っていたのかもしれません。
おまけにその日はプレス発表(いろんな雑誌、新聞、
テレビ局などのマスコミが一斉に取材をする日)で
次から次へと取材クルーが押し寄せては
何度も同じ事を聞くもんだから
いい加減、嫌になっちゃったのでしょうか。
それとも私の対応で、何か気に入らないところがあったのか。
そう考えて、頭の中で何度も自分の言葉と態度を
リプレイしてみたりもしました。

マスコミの取材について、とかく
横暴だとか非常識だとかの声を耳にします。
「締め切りがあるので」と、自分たちの都合でものごとを決める。
取材だから撮影で使った料理代は無料でいいと思い込んでいる。
そういう取材者がなんと多いことかと耳にする度、
頭を下げずにはいられません。

取材する側・される側という関係は、
敵・味方でも、上・下でもなく
人間と人間としての信頼関係でありたいと
私は願いたいし、努力もしたい。

自戒を込めていつも思うのは
その常識は、常識ではないのかもしれない
ということです。
そもそも常識という言葉自体が疑わしい。
自分のルールはみんなのルールじゃない。
自分がわかっていないということを
きちんと知らないといけない気がします。
料理人も、ライターも。
あなたも、私も。


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