至福の一皿を求めて おいしさの裏側にある話

第52回
自分の幸せはそこにあるのか

「料理で有名になりたい」
「店を成功させ、大きくしていきたい」
「料理界の第一線で活躍したい」

イタリアで修業をしているコックには
堂々とそう宣言する人もいて、そんなとき
何のてらいも、ためらいもないその伸びやかさに
私は心からエールを送ります。
正直に言えば
コックの道に入るということは
そういうことなのかもしれないとも思っていました。
しかし取材を進めるうちに、
こう考える人も
決して少なくないことに気づかされたのです。

「べつに成り上がりたくなんかない。
それより
作りたい料理を作って、人に喜ばれたい」

自分の店をもつことが
彼らの最終目標であることには変わりないけれど
それが資本系の大箱である必要はない。
青山や六本木である必要はない。
逆に、
ひとりでできる席数で
自分のやり方で、地元の人に長く愛される店を構えることに
憧れる人が、確実に増えています。
店をもつことさえ拒み、腕ひとつで世界中を旅したい
という若者もいたくらいです。

それを、自己満足だとか
ハングリー精神の無い世代だという人もいるでしょうが
私はおもしろいことになってきたと思うのです。

十把一絡げにはできませんが
今20〜30代のコック達は、飽食の時代に生まれ育ち
物質的には豊かに過ごしてきたけれど
一方で受験戦争の果ての就職難、
バブルの崩壊による企業神話の廃退など
あらゆる価値観が崩れていくのを目の当たりにしている世代です。
人よりいい生活や社会的評価を手に入れるのもいいけれど
「それで自分は幸せを感じられるのか」
と問う人が出てきた。
他人を軸にした価値観でなく、自分の満足はどこにあるのか
ということに正直であろうとする彼らに
私は逞しさを感じます。

“少年よ、大志を抱け”という言葉があります。
しかし大志って何だろうと、最近思うのです。
一流とかトップとか、そういった言葉だけでなく
もっといろんな性格の大志があってもいいですよね?
たとえば嘘のない料理を作る。信念を貫く。それも大志です。

飲食店でいえば
地方から都市へ、郊外から人気エリアへ、街から高層ビルへ。
そんな出世の図式が、これまではたしかにありました。
でも今は大志をもって
イタリアで修業後、故郷で店を開いたり
食材を求めて海の近くに住んでしまったりする
そんな若者が本当に現れています。

今、老舗や名店と謳われる店が
馴染みの街から出て高層ビルの一角にテナントとして収まり
ビル風に吹かれながら
同じような顔をして並んでいるのを見ると
「そこに、この店の幸せはあったのだろうか」
と問いかけたくなるのは、私の偏見でしょうか。


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2004年3月2日(火)

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