至福の一皿を求めて おいしさの裏側にある話

第67回
『チェントルーチ』(前)・この街に住む

三軒茶屋の駅から、てくてくと
賑やかな商店街を逸れて、
ホントにこっち? と少し不安になった頃
そのリストランテは現れます。

白くこぢんまりとした建物から
優しい灯りがもれるリストランテ『チェントルーチ』。
席数はわずか10席ほど。
オープンカウンターの向こうでは
須賀孝幸シェフがひとりで料理を作り、
若いヘルプ兼カメリエーレが
ひとりでサービスを担当しています。

最初に訪れたとき、
須賀シェフが不意におっしゃったのは
「僕の料理にはイタリアを感じないかもしれません」
という言葉。
その穏やかな口調は、けん制している風でも
謙遜でもなく、ましてや言い訳でもないようで
おそらく
「自分にできることをやっています」
という意味だったのかなと、
後々気づくことになりました。

彼にはイタリアでの修業経験が無く、
カルミネさんのお店で修業していた頃
研修で2週間ほどトスカーナに滞在しただけなのだとか。
現地で食べた料理はたしかにおいしかったけど
でも、その場所で修業したいと思ったことは
たったの一度もないそうです。
……なぜですか?
「言葉のわからない場所は、僕、駄目なんですよ」
……本当に?
「はい」
そう言って、真っ赤になっていました。

彼は、1967年生まれの36歳。ちなみに同い年。
神楽坂『カルミネ』を経て
西麻布『アクアパッツァ』へ行き、
その店と築地『トラットリア・フォルトゥーナ』では
料理長まで務め上げた後、
2002年5月、ここ三軒茶屋にお店を構えました。
オーナーシェフです。

なぜ三軒茶屋だったのかを訊ねてみました。
すると、「保育園があったから」という答。
一瞬、冗談かと思って聞き返してしまいました。
……本当の話ですか?
「本当なんですよ」
子どもの個性を伸ばせる保育園を、と東京の
いろんな地域を探していたら
たまたまそれが三軒茶屋にあったのだそうです。
料理とは関係ありませんが
私はその理由が、なんだかやけに気に入ってます。

かくして、この静かな場所に小さな物件を見つけ、
外壁にペンキで店名を書き
お客さんの顔が(至近距離で)見えるオープンキッチンで
須賀シェフはフライパンを振り、野菜を刻みます。
この場所で生活していこう。
そういう、彼の意志のようなものを感じました。


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2004年3月23日(火)

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