至福の一皿を求めて おいしさの裏側にある話

第108回
秋田の春は、山菜の饗宴です

連休より少し前になりますが
実家のある秋田から
山菜がどかんと届きました。
ちょうどその頃
友人から、「今夜はアザミの天麩羅です」という
メールをもらっていて
春がきたんだな、と実感しました。

秋田の春から初夏
と言えば、もちろんさまざまな山菜です。
たらの芽やミズ、ぜんまい、山ウド、ワラビ、
行者にんにく、それに
「ばっけ」と呼ばれるフキノトウなどは
きっと聞いたことのある人も多いでしょうが、
根曲がりたけ、ヒロッコ、ヒデコ、アイコ、ホンナ、
シドケにサシボ、コゴミにウルイときた日にゃ
いったい何の呪文なんだ!って思いますよね。

秋田のお母さんたちは
これら山菜の固い皮をむいたり、筋を取ったり、
茹でて、水でさらして……と
手間暇かけて下準備をします。
そうやってアクを抜き、ようやく山菜は
お浸しや味噌汁、炒め物に天麩羅にと姿を変えて
入れ替わり立ち替わり
食卓に登場することになるのです。
しかも一度に大量を作るので
根曲がりたけの味噌汁など、またかというくらい
しつこく登場します。

これら山菜は一つひとつ
味わいも歯触りも違いますが
共通する独特の苦味が
子どもの頃は苦手で、山菜=年寄りの食べ物だと
頭の隅っこに追いやっていました。
地味ですし。
しかし大人になると、なぜかこれが
たまらない滋味に感じてしまうのだから不思議です。

しかし正直に告白すると私は
情けないことに
上に記した山菜の半分強は見分けがつきません。
市場や食卓でよく目にしたことはしたのですが
名前とルックスが一致しません。
友達が言っていたアザミなんて
食べられるとも思っていなかったくらいです。

秋田に住んでいたいたときに
もっと母に教えてもらえば良かったかなぁ、と
ちょっと後悔しないわけではないけれど
十代では山菜なんか眼中になかったのだから仕方ない。

もう何年も昔、
東京に住んでいた秋田出身の女の子(当時25歳くらい)が
やはり実家から
土の匂いを強烈に放つ山菜を、山ほど
送ってもらっていました。
宅急便が届いたばかりのある日、遊びに行くと
彼女は
床に新聞紙を広げてぺたんと座り
一つひとつ、じつにテキパキと
皮をむき、筋を取り……と処理していました。
そのひたむきな背中と、つるりとした裸足を見ながら
こういう人をいい女と言うのだなぁ、と
思ったことがあります。

同じ秋田の女でも
私はいまだに、母に下処理してもらった山菜を
送ってもらう
カッコ悪いほうの部類です。


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2004年5月19日(水)

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