至福の一皿を求めて おいしさの裏側にある話

第117回
プロであるということ

仕事でいろんな人にお会いして
よく思うことがあります。
上に立つ人ほど(仕事に対して)謙虚であること。
成功している人ほど恐れを知っているということ。
そして、
きっちりとプロの仕事をしている人ほど
どこか肩の力が抜けていること。

謙虚であることは
たとえば学生時代、期末試験の日に
勉強している人は
自分のわかってなさ加減がわかってしまって、
勉強すればするほど
「まだまだだ」
と思うのと似ていますし、恐れを知っているとは
だからできるだけの準備をする
ということでもあります。

では、肩の力が抜けているのは。
「余裕があること」とは
またちょっと違うように、私には思えるのです。

はっきり名前は思い出せませんが
ある教育の専門家が、昔、
子育てについてこんな主旨の話をしていました。

「赤ん坊が生まれたばかりの時、親は何を願うか。
健康であればそれだけでいいとか
優しい子に育って欲しいなど
たいていは一つか、せいぜい二つくらいのものである。
それが、子の成長に伴って
他の子より歩くのが遅い、しゃべるのが遅いから始まって
成績、スポーツ、友達づきあい等々
あれもこれもと望むようになって
いつのまにか、がんじがらめになってしまう。

子育てに行き詰まったら、考えてみてほしい。
最初のひとつを見失っていないかどうか。
一生かけて
その一つが達成できればそれでいい、というくらいの
気持ちで構えていれば
子育ては、そんなに大きく間違うものじゃない」

私には子育ての経験がありませんけど
自分の仕事にも、どんな仕事にも言えることだと
しみじみ考えた記憶があります。

一つが達成できればそれでいい
というのは
もちろん、あとはさぼっていいという意味では全然なくて
目標も向上心も欲もあるなかで
でも、がむしゃらになればなるほど
今のがむしゃら自体がすべてになってしまうことがあるわけで
そんなときに立ち返るべき
原点、ということではないだろうか。
肩の力が抜けた人というのは
この原点が
いつも心の真ん中にあって
ときどき立ち返っている人ではないかと思うのです。

身につけたたくさんのものを
使ったり使わなかったり、ときには捨てることもいとわない。
そういうプロの仕事をしている人に
またお会いしました。
『マクシヴァン』オーナーソムリエの
佐藤陽一さんです。


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2004年6月1日(火)

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