至福の一皿を求めて おいしさの裏側にある話

第139回
4年間、1店で修業したシェフ

東京・江東区東陽町(最寄り駅は木場)に、
トラットリア『イ・ビスケロ』という
イタリア料理店があります。
「会社を辞めてイタリアで修業したシェフの店」
「働いたのはフィレンツェの一店だけ」
という記事を何かで読んだ記憶があり
会社員からコックになったことと
イタリアで始めて、一箇所だけで修業したというのが
ずっと気になっていましたが
先日、ついに
結婚して数年経った夫とふたりで訪れました。

そうなんです。
このシェフの修業先が、まさに
新婚旅行で訪れた(第133回参照)
フィレンツェの殿堂入りトラットリアだったのです。
最初はカメリエーレに
軽い気持ちで「何ていう店ですか?」と尋ね
『パンデモーニオ』という店です、と答えたその名を聞いて
ピンときたのは、じつは夫のほうでした。
彼は通りの名前まで憶えていて、
これは絶対間違いないと
鼻息も荒く
シェフに話を訊きたいと言い出し(私でなく夫が)、
わざわざ厨房から呼んでもらったりして
(ライターの私でなくスーツ姿の夫が、です)
その剣幕には、ちょっとびっくり(笑)。
でもまぁ、おかげでシェフから
いろんな話が訊けました。

オーナーシェフの早川智也さんは
日本で勤めていた製薬会社を辞めて、イタリアで
コック修業をスタートしました。
しかし何のツテもなく、ヴィザも滞在許可証もなかった彼は
働ける店を探すのに1、2年かかったと言います。
で、たまたま1992年、
フィレンツェにオープンしたばかりのトラットリア
『パンデモーニオ』の長男と知り合います。
この店は
旦那さんがソムリエ兼カメリエーレ、
奥さんがシェフ(今はもっぱら店の顔としてサービス担当)、
次男のフランチェスコが実質的にシェフ。
基本はマンマの味ですが
次男が修業していた店のシェフがサルデーニャ人だった
ということや
知り合いであるリヴォルノの漁師から新鮮な魚介が届くため
フィレンツェでも魚介料理がおいしいのでした。

早川シェフは96年までの4年間
この店ただ一軒で修業し
帰国後は日本人向けにアレンジもせず
オリーブオイルも同じものを個人輸入して
そこで覚えた味を忠実に守っているのだとか。
もちろん経験を重ねるごとに
おのずと彼の味に変化していっているのでしょうが
この日いただいた
サルデーニャ産からすみのスパゲッティは
シンプルながらからすみのうまみがたっぷり。
何を訊いても答えてくれる
サービスも、とても気持ちよかった。
そういえばこの居心地の心地よさは
『パンデモーニオ』のそれと似てる気がします。


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2004年7月1日(木)

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